スポットライト、浴びちゃいなよ
最前列のセンター、照明当たって汗が光る。
そう、「積極過ぎるぐらい、目立とう精神でいいのよ」
スポットライト、浴びたっていいじゃない。
見せてやれ。生き様。30過ぎのおとうさんの生き様。
それはもう振り付けじゃなくて、何かの訴えだ。
むしろ、スポットライト浴びることから逃げたり、怖がったりしない。
今年下半期はこの曲。ヘビロテでお願いします。
以上
(P)
電車で化粧する女のようになりたい
睡眠時間が足りていないなら「早起きして自宅で化粧して、電車でうたた寝をする」よりも、「ギリギリまで熟睡して、電車で化粧する」方がずっと合理的だ。人に迷惑をかけることもない。
他人にどう見られるか、世間体を気にした選択をするよりは、電車で化粧する女のように、ありたい。そして「俺も我慢しているのだから、お前も我慢しろ」とは言わない大人でありたい。
(K)
欲しいものは鈍感力
自分に起きる出来事には、避けられないものもある。
上手くいかないこともある。
大事なことは、打ちひしがれないこと。
打ちひしがれると、負け犬根性が確定する。
その後の、あらゆることに、恐怖を感じ、
恐怖を前提とした意思決定〜本当はしなくていい復讐、逃避、憤怒、恨み、残虐性、依存等*1
に不可避的に流れ込む思考回路が出来上がってしまう。
『どうせダメだろう、もうやめておこう。』
私、わかったの
失敗をしないと成功は無い、というのが真理だとすれば、
最初の失敗で打ちひしがれて、挫けたら、絶対成功できないのだと。
それに加え、失敗を避けるようになるので、チャレンジすらやめている。
これが失敗も成功もない、無味乾燥な状態の原因だ。
つまり、このままの人格、認知システムだと、
一生を成功できずに、棒に振るということだ。
よって、思考回路、行動規範を
全面的にイノベーションすべきなんだ。
まず、起きる出来事、全面的に受け容れる。
出来事を受け容れることは、以後出来事に支配されることとは違う。
そこで、自分が何を感じたか、
が次のステップを考えるインプットとなるというだけ。
そこで、挫けることで、得られるものは少ない。
打たれても、立ち上がる。歩き続ける。それだけ。
以上、遅れてきた「鈍感力のすすめ」でした。
(P)
*1:そして、本当はしなくていいことが本流になってしまうため、自分がナンなのかさっぱりわからなくなる。そして自分探しと、自称地下アイドルの誕生へ。
ハンドウェーブ
手の先から体に近づくウェーブ、手も徐々に体に近づくイメージを持ちがちだが、逆に手は徐々に体から離れていくイメージを持つ方が良い。その上で手の位置は最初と最後で変わらないようにする。体の中心から手の先に流れていくウェーブでは、手は体から離れて行くのではなく、手は体に近づくイメージだ。
手の先からウェーブを始める時、指先を少し上に向けてからスタートする。
肘を曲げる際、手の平や肩が肘につられて動いてしまわないように。手の平や肩が動かない程度に肘は動かす、肘だけが動いていれば、動きが小さくても、綺麗なウェーブができる。
ポイントをひとずつゆっくり稼動させても、ウェーブが見えるようにする。はやく稼動させてウェーブっぽいにならないように注意する。
(K)
胸のアイソレーション(ロール)
腕の上にからスタートして、中央で腕の下に潜り、再度、腕の上に戻る。腕の下に潜り、そこから出るという感覚を持つことで、表現力が増す。中央部では顔が思いっきり下がり、胸は思いっきり持ち上げる(アッパーをボディに受けたときのような形になる)。自分が思っているよりも、さらにユックリやる。
(K)
アガキたいよ、マジで(第3話)
この週末はYoutubeでうっかり見てしまった中学生のダンスが原因でへこんでいました。自分よりずっと年下なのに、自分より上手いって・・・。
でも、これってよく考えてみれば、高校生の頃の松坂の球を打てないのを、「俺の方が松坂より年上なのに何故・・・」と落ち込んでいるのと同じこと。変な話です。練習量を無視した、まったく意味のない考え方です。松坂にとっても迷惑です!
何故こんな頭の悪い(しかも根強い)神経回路が自分のなかに存在するのだろうか?
そして、こういった思いをする度に「もうダンス止めようかな」と思う自分がいます。
辞める理由を探している自分もいるので、本当に手に負えません。
なぜ辞める理由を探しているのか?
スゴイ好きだからこそ、そこで生じる痛みも大きいから、そんな痛みは出来れば避けたい。痛みを避けたいから、好きなものをあきらめる。「大好きだから、サヨウナラ」的な。そうやって、色々なモノを諦めてきた。
だから、もう「大好きだから、サヨウナラ」は絶対にナシです。
(K)
なにもない、本当に何もないようにしている
仕事=金のため生活のための完全物質的な物々交換。
ただ単に給料絡みでその組織にいる、
今生の生活資金があるなら、もう組織にいる意味は無し。
仕事自体に意味は無い。
だから、金が有るならやる意味が無いことをやる【貧困】。
しかし、金のせいにしてはいけないよ。金が悪いのではない。
貧困を、諦めという名の鎖を自分の中に育ててきたんだ。
それとは別の物事の一面に目を向けよう。
経済的なもの、それ以外に、
仕事は自分の人間的、精神的成長の経験だという軸。
経験を通じて、いずれは面白社長になるのだとでも言おうか。
あるいは、化け物になることもあろう。
そういう変化の過程の意識。
いつでも、安定性と成長性はトレードオフ。
成長性というのは、『どうなるかわからない』という状態。
いいことも悪いことも人生には起こりうるということで、
その後、起こりうる様々な展開を受け容れるということ。
小さな芽が、雪解けの土から顔を出し、花開くまで、
雨風に晒されて、苦しさの中に根を張り、逞しくなることもある。
どんな展開があるかはわからない。
けれど、安定から出ることで、なんかがある。
というか、なんかを起こすという姿勢・生き方すら必要。
ともすれば、なんもないより、
何かが起きるほうがいいんじゃないかという考えになる。
なんもない人生、それに慣れてしまい、
なんもなくしよう、恙無く暮らそうとしてしまう。
なんもないを【通常】とする考え方を変えて、
変化、【展開】、流転、自然の生成変化が起きるような状況を整備し、
毎日なんかがある、昨日とは違うなんかがある方がいいと考えることもできる。
展開を広げようとする姿勢、
自身が【構造的な貧困】の中で【学習】した【強迫観念】から抜け出して。
その姿勢を持つこと何かを産み出す際の基礎姿勢ではないか?
今のこの人生以外がある?
上手くいくかどうかではなく、【それ以外】を呼び込む素地はありますか?
時間の経過に伴って当たり前に起きる変化を恐れ・拒否して、
自分の中で時間を止めて、展開を拒み、何も考えるのをやめている。
しかし、時間は誰に対しても平等に過ぎていく。
変化を受け容れない無駄な抵抗。
鎖があるから、そうしている。
では何故、鎖があるのか?
それが何のためなのか、わからないなら、内心真に望んで、雨風の下に出てみないか。
そうしないとジリ貧。小役人には大金星は出ません。
未来に自分を晒して、可能性を育てる【雨風】。
自分の芽が出るように雨風を。人にもらおうとするんじゃなくて。
外に出す。かわいい子には外に出す。
やらない後悔>やって後悔、の法則もある。
どんなことでも、何事も無いよりは、とも思える。
よって、自分がいままで学習した処世術の類を、むしろ棄てるべきだ。
(P)