爆発主義の申し子

先日来、世間や過去の自分に気を使って、
自分で自分に勝手に「限界」を設定する仕組みに意識的になってきた。


いいたいくせに、いえないんだよ。的状況。
気が弱いともいえる、環境の圧力に負けているともいえる。相手に押されているともいえる。
しかし、すべては自分が勝手に弱気になった自滅。
しかし、主観的には、何かのせい、人のせいにしようと思えばできるわけだ。
相手が悪かった、日が悪かった、どうせ彼氏いるしetc、言い訳。
けどな。野村監督曰く「負けに不思議の負けなし」なんだよ。


しかし、限界を設定するのは、やはり、不安・危険を察知しているからだろう。
これ以上は、できない(のではないか)と確信してしまうから、
行動できなくなり、生命力も失われる。
自分が思っている以上に、自分が不安を感じているんだ。
だから、自滅であることが分かりにくい。
それが、「本来の自分」が疎外されているのではないかと思う原因のひとつではないか。
現実は「本来の自分」は自分が思っている以上に弱気で不安だというだけのことなのに。


バランスとって、ブレーキきかせて、リスクヘッジするようになってしまっていることを、
改めたい、といい続けてきた。
そのための強い気持ちを持ちたいといい続けてきた。
しかし、人間は無意識にも、不安を感じる。
これは、リスクに敏感な種ほど、
生き延びることができるという生命の淘汰の原理があるからかもしれない。
だから、不安を感じない方向に無意識に行ってしまう。


これを打ち破ろうとすると、岡本太郎みたいな考え方になるしかない。
要するに、命を削って生きることがもっとも命を燃やすことだ、と言う認識。
冒険主義というか。
そうすると、日常生活の大半は反復でしかないわけだから、
行き詰る。行き詰るしかなくなる。
否定しまくってたら、何も無くなる。


そうなると、打ち破ろうとするのはちょっと無茶なので、
「自分が思っている自分」に比して、「本来の自分」が足りない部分を見極め、
それで自己嫌悪や自分を見捨てることなく、
ギャップを埋めるために何ができるのか考え、少しずつ取り組むしかないでしょうね。
上のエントリでいう、改善の努力と言うことになります。


(P)