1月、2月、3月(白)

当事者として考えても、自然発生は結構ある。
ミームというのか、シンクロというのか、セレンディビティというのか。
全てはあるがままにあり、起こるがままに起こる。
そして、成長は増殖、ループしてマルティプル。


自然に起こり、伸びる。殖える。周りも巻き込まれる。
発生物がもともと内包しているそういう成長性の核、生命力。
本質は概念としては最初から既にあるわけで、
具現されるだけである。


世の中の多くの営みが、この具現のための、
伸張、成長、顕現化に寄与するといい。
元来持っている個性、特性を伸ばすことができれば、
それは教育として成功といえるだろう。
真なる姿を現実に生み出すこと、未来の価値を生み出すことが、
営みである。


そこでの価値はどこから生まれるか。
未来の姿が、未来の環境に及ぼす影響の総和つまり、調和自体からである。


だから、俺は最高の別れの言葉は、
「あなたはあなたらしく元気で」という、
生命礼賛・個性礼賛の形を取ると思い、
また愛の形としては、
「あなたがあなたらしく元気で」いられるような、
支え方=管理して何かをさせて導くのではなく、
「らしく」なるための基礎的なリソースを供与する形を取ると思っている。


だから、愛は海であるはずで、
らしくあるための栄養を含んだ海水=羊水が価値の源泉となる。
わたしをわたしに、あなたをあなたにする、
リソースは大いなる肯定としての海でしかないから。
昨年来の海な女子礼賛の理論的基礎は、
栄養をくれるからという見も蓋もないものだ。


この背景は、ここが日本社会だからなのかどうか、
それも理由にはなっていると思うが、
端的には本質具現に向けたリソース不足即ち、
尊厳のリソース不足、承認不足が深刻だからに他ならない。


生命を唯生かすこと自体の価値を感じ、
教育とは伸ばすこと、
投資とは具現に与することと知る。
全て生命=価値観=良心の本質に従い、
未来を生きる理由にしないか?
そうすれば残された時間は、理論的には無限になる。

調和、その本質が海にある。
わたしのなかでお眠りなさい、この一言が本質だ。
当然リクエストは、ジュディ・オング『魅せられて』で。


(P)