殖やす思想

元来生命体はその前半において力強い増殖を示すのであり、
孫を欲しがる老祖父母ならずとも、
大半を占める既に上がってしまった者にとって、
この増殖=成長は悲願であり、善悪の彼岸ではないかと。


そもそも成長は生命そのものの内包する性質であり、
かつ我々を歓喜させるため、
神=創造は多くの場合この成長力自体の源泉として表象される。
それは神秘であるが、感謝、感激、激情をもたらす。


長く生きてたら誰にとっても歴史はあり、
増殖の物語の中で熟成された結果の現在を生きるという自覚があれば、
その歴史がどのようなものであったとしても、
過去の断面からの踏み上げ相場的非連続的急成長(スパイクアウト)の喜びすら出てくる。
(例えば、先日の『虎ノ門』における千鳥の躍進。)


というわけで、結局『成長が好き、増殖が好き。』ということだけであり、
それは「非日常や〜」とか「地殻変動や〜」とかパラダイムシフトや〜」とかの扇動、
即ち彦摩呂アジテーションへの心的な親和性が証明している。


これは、今よりも多くの未来に実現する価値を信じられる予定説の円環に加わり、
時間を味方につけている(Time Is On My Side)状態に入ることであり、
明日を恐れる必要のない状態それは即ち涅槃。
残されたのは、取立てだけのシャイロックになるという。


それなので、今日-昨日=何?という前日比の思想が求められている。
時価総額、中計・利益計画、予想バリュエーションを自分でわかっていない状態で、
不安が消えないわけがない。


だから、ちゃんと開示しろというのはなにも、
監視の思想からだけではなく、
自律・自律促進の思想からでもあると考えるのがいいのではないか。
させられた自立というのがどういうものなのか、
言語上は意味不明だが、結果オーライの非連続性に生命の源泉がある以上、
それに委ねるたいどは責められるものではない。


自分が何をしたいのかを持っていないだけなのだが、
明日が不安で、意味なく不安でというとしても、
どうやって安心=成長を捕獲するのかといえば、それしかないからね。
底値確認、下値目処、というような熟語で表現できる。
何事も、四則計算とファイナンス理論で考えたほうが早い気がするんだけど。


怯えずに歩かなきゃ本当の場所なんて行けない。
当然リクエストは、篠原涼子もっと もっと…』で。

(P)