普通に日記を書いてみた

思うんですが、ビジネスの世界というのは、要するに金をくれる客が必要。これは、長い時間をかけた信用なんかが功を奏す?ようです。ずーっとつきあっていく、という前提。案外安定性を求めるわけです、その始まりからして。
一方、プライベートでの友人とかとの付き合いにおいては、なんだろう、俺はすごくやりやすい。昔から知ってるからいい奴ってこともない。いい奴かどうかっていう人間の心理だから、思いやりとか楽しいこととか、考えなくても感じることができるからシンプルに。長い時間をかけた経済学的なリスクの削減とかよりも。
あと違和感あるのが、企業というのは人間を手段とするから、スキルとか言われる。転職活動のときは、仕事を完結させるための1パーツとして雇用されるような自己アピール、自分の強みなど。仕事ありきで、自分がそこにいる。つらいことを乗り越えるとかそういう以前に、パーツとしてやっていくという。いやなら離脱するしかない。俺は労働を提供するかしないか選択するのみであり、昔みたいに組合作ってこの状況に反抗するわけではない。
また、会社の同僚とかとも長く付き合う気がいつまでたっても生まれてこない。それは個人的に人間関係では、利害とか必要よりも、楽しいかどうかで考える癖があるからというのもある。カルチュアが同じじゃないととかね。それに加えて、なんか、いつまでもピーターパンでいたい/痛いと言うのがあって、オヤジ世代のトークとかに巻き込まれてる自分はえらいカッコ悪いと思えてくる。
ビジネス/プライベートの二つの世界はすれ違ったままだ。
とにかく時間をかけることを担保として、信用を築くことが求められてて、それにはタダタダ時間を費やすことがメインテーマとなる。このままあと5年とか先、信用築いて会社で担当顧客を持って何かをしていることが、いったい自分にとって何なのか判然としない。
夢にまで仕事が出てきている。プレッシャーなんだ、仕事ではなく、出口のなさが。パーツとして時間をとにかく費やすことを求められている、自分の時間を売ること。
俺、そういう意味ではプライベートは得意だし、自分好きかも。だけど、社会的な役割とかについては、自分自身な感じもしないし、もっと大事なことあるという立場。食わなきゃいけないから、パーツとしての効率性を発揮しようとするやる気がないわけではないが、正直自分の価値観をもって人生賭けて戦ってるとかではない微妙なご様子。
今日もダンスした。生かしたパーマ先生のソウルダンスは楽しい。カッコいいし、ハードルがやや高めで燃える。キャステラはパーマ先生には黒人の血が入ってるはずだと言っていた。
(パイン)