姿勢を示せ

売り上げが落ちてくると、皆結果が出ない中で、
内ゲバ的に組織内で口にされ始める。
お前気合が入ってないとか。やる気あんのかとか。


そういう類のものは、他人に見せるものではないと思ってきたので、
他人に強要したことも無いのであった。
やるべきことやればいいんでしょと。
それで人を裁くことができるのかと。
裁くことができるとしたら、どんな基準があるのかと、そういう立場だった。


それはまあ、そう言われる方の側に足りないところがあるということかもしれない。
必要な結果を出すための必要な姿勢=過程というものが有るのかもしれないが、
プロセスを定義することは難しいし、そこでの姿勢はさらによくわからない。
それゆえ、見えにくいもので、他人の主観に左右されているという懸念もある。


けど、ポスト-フォーディズム、仕事は全て感情労働化していく中、
そういう姿勢や気概を受け渡しし合っていくことで、
組織の、あるいは取引における紐帯を保って世の中を回していくしかなくなった。
金が回って経済が成立しているのと同じ。
そういうもんだ、というしかない。


それが出来ない奴は、信頼感を他人と築く能力が欠如しているから、
組織でサバイブしていく(上司の引き、とか)のはまず厳しい。
どんなに「実力主義」の会社でも、あるいは、実力があるもの同士だからこそ、
信頼関係を見せ合う必要があるのかもしれない。


金持ちが有利なのと同様。美人が有利なのと同様。
明るい性格が有利なのだ、と決まっているだけのこと。


そして、金が無い人間がいっぱいいるのと同様、
人を愛せない人間も多くいるのが現実。*1
愛せないというと大げさだが、他人に興味ないという感じ。
生きていようが死んでいようが、どっちでもいいというアレだ。


人間と関わること、感情の交換、気概のやり取り。、
他人に感情を与えていくことで昂進されていくコミット感。
所属の欲求の充足には、そういうものが必要とされるのだが、
そんなのは媚びではないかと、抵抗したくなってしまうのは、
それをやるスキルが身についていないからだ。


サービスはモノの提供、労働力の提供だと思っていたが、
よく言われるように、それは誰でも出来る。
それ以上のことを要求されている。


仕事の本質=サービス業・サービス精神。
明るく接しやすい人間であることが求められている。
無愛想な店員にむかついたりするのだから、
求められていると共に、こちらも求めているのだが。


人に好かれたいなら、群れに属したいなら、
やる氣とか、見せて、高いテンションとか、見せて、
楽しそうに、周りに気を配って。


楽しくなくても見せる楽しさ。
楽しそうにいつもできる。
そういうものが必要とされている。
いわゆる明るい性格というものは、商品。
個性的とかいわれる性格は、商品になるものだけ。
性格に値段が付くことに抵抗感を覚えるが、もう遅い。


年取ってから、急に体育会系の性格にはならない。
できるだけ早いうちからその性格に子育てした方がいい。
子供産んでも明るい性格にならないときつい。



(P)

*1:人の温かさ=幸せ、ぬくもりの交換⇒備蓄としたときに、明日から心の持ち方は換えられるという考え方も有れば、心だって元手がいるという考え方もある。