食肉報告 @目黒・ホルモン稲田

夏真っ盛り、ホルモンの季節。
DJ麦茶と目黒へ。
目黒といえば、A.K.A 白金焼肉ジャンボとなるが、
それと同じ肉を食えるらしい。
矢澤グループが動いた、らしい。

▼品川経済新聞
目黒駅近くに「ホルモン稲田」オープン−西五反田「ミート矢澤」系列


肉は期待にたがわない出来。
特に、店員のアフロヘア(トータルテンボス風)が、
お約束として「今日は裏メニューありますよ〜」として出してきたミスジ。2皿頼んだ。


ホルモンも当然多彩で旨い。が、最後のほうはタレが濃いと感じる。
ホルモンだから仕方ないけど。序盤はそのぶんタレとご飯を十分楽しんだわけだし。
これは大阪的な焼肉の利点であり、欠点である。


さて特筆すべきは肉以上に、DJ麦茶。
もともと文化系男子だったが、ある会社同僚に出会ったことで変わっていた。


2人は30台半ばのオッサンである。いずれも、中肉中背である。
しかし、毎週渋谷のギャル系クラブに行く。ギャルとの出会いを求めて。
そこにいる女子は、みんな、あびる優、カリナ、木下ゆきなぐらいの感じ。
そして周りの男子は、ジャニーズ系や英太とかタマキヒロシみたいなヤングボーイ。
当然、気後れもするだろう。
「でも大丈夫になった。同僚が酒入ると、突撃モードになるから、それ見てたら勇気でた」
「ヤングボーイにさ、立ち向かっていくわけよ。」


ボロボロになるまでヤングボーイとしのぎを削る。
そんな2人は円山町の桑田真澄野茂英雄といってよい。


当然、ギャルが無言でスルーすることも多いという。
「でも、やるんだよ。マンモスを狩るんだよ」
同僚は絶対引かないからね。その同僚の背中見てたらさ。」


自分がオッサンだとか、もう若くないとか。
そうやって決め付けてみたとこで、何になるのよ?
気持ちで負けて、後ずさりするだけだろ。
そうやってラベルを貼らないと、怖くなるんだろう?*1
自分が何であるかなんて?
そんなこと簡単に決められるのか?
無意識にブレーキ踏んでることに、都合のいい理由付けてんじゃないの?

宇野は、「〜である/〜ではない」という状態によるアイデンティファイと「〜する/〜した」という行為によるアイデンティファイを区別する。


そして前者のあり方を「キャラクター」と呼ぶ。
例えば、トラウマなどがこれに当てはまる。「私は○○というトラウマがある人間だ」などというアイデンティファイの仕方である。「私はいじられキャラだ」とかでもよい。
このようなアイデンティティをもった人間にとって、自分以外の存在(他者や社会・世界)とのあり方は、そのアイデンティティを承認してくれるか否か、しかない。
このような、承認か否か、しか認めないようなあり方こそが、まさに「空気読めない」であり、宇野はこれを批判する。


人は、状態によって評価されるのではなく、行為によって評価されるからだ。
行為によってポジションは変えていくことができるし、生きやすくなる。
「私は○○だから、生きにくい」のではなく、それは単に、生きやすくなるように行為していないだけなのである。
日常が楽しく思えないのは、日常が楽しくなるように行為していないからである。


http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20080808/1218187660


そうじゃないよ俺は俺だよ。
その俺がギャルと出会いたいんだよ。それだけが真実なんだよ。
結果がどうとか、損得とか、そんなの関係ない。
行きたいから行く、それが俺というもののリアルなんだという姿勢。

そして、そこで初めて出会う自由。


自分自身になった文化系は、どこか男の顔になっていた。
自分で自分のラベルをひっぺがし、
自分で自分の鎖を引きちぎった男の顔。


最後は「稲田うどん」でしめるのがいいかも。
とろろ昆布とそぼろが入った、食べやすい一品である。


(P)

*1:自分で自分に限界を設けるラベルを貼る癖。過去のいろんなことの経緯でそう考えるようになっているんだろうけど。未来は別の顔があるはず。昔から、俺は俺だ、と叫ぶものが好きだった。ブルーハーツ「情熱の薔薇」、映画なら行定勲「GO」。アイデンティティの目覚め、そのための格闘をこれから30代でまだまだやろうとしている。自分が何であるかよりも、何をしようとしているか、どんな姿勢を持っているか。幸せは何を持っているかじゃない、何を目指しているかだ。