How To Be A Dancer

<はじめに:今週の課題曲⇒マキシプリースト、夏の定番>


「ダンスはなかなかうまくならないよ、ほんっと時間かかる。
 でも、うまくなろう、って言う気持ちがあればうまくなるよ。」
バトルの結果にココロオレル男子に諭す先生。


先生いわく「バトルはやったほうがいい。経験にもなるし。
 上手い奴いるなー、って発奮材料にもなる
 レッスンで踊るのとぜんぜん違うよ、最初は何にも出来ないよ」
バトルかぁ。と他人事にしている俺たち。


「普段から音楽をたくさん聴くことー。
 ダンスは音楽を楽しむことの一部。
 いっぱい聞いて、自分の気持ちよい好きなカンジ見つけていってね」
とは別の先生の"今週の一言"。


ダンスが上手くなるということのベクトルの話として、
(1)上手い人、先生のスタイルの完コピをする
(2)自分の好きなスタイルを築き上げる


当然、この2つは違うものだ。
最初は(1)からしか取り組めないかもしれないけど、(2)を視野に入れているか?
そして、やはり、いろんなものを犠牲にしてダンスに打ち込んでいても、
(1)が主要な目標になってしまうと、
どうしても、オリジナルを凌ぐ輝きは手に入らないんじゃないかと。
先生やってる人と、上手な生徒な人と、当然いろんな面が違うんだろうけど、
意識の持ち方もぜんぜん違うんじゃないかと。



常に音楽漬けで、自分の気持ちいいカンジ、自分の感性・美意識、探って、
どう踊ろうか?とか、考えている。それが、ダンサー。
一方で、レッスンで言われた振りだけやって、クラブもめったに行かず、
フリースタイルで自分のオリジナル出てきませんというのは、ダンスを習っている人、だ。
特に、バトルなんて、全くフリースタイルなわけで、君こそすげえぜ、となるにはオリジナルが要る。


で、気づいたんだけど。。
俺たちそういう、オリジナルなスタイルを、クラブのフロアに表現する的な方向性
無意識に全く視野から消していた。
無意識に、「自分、そういうんじゃないんで」と諦めていた。
意識して、口に出したわけじゃないけど。
*1
「与えられた振り付けは踊れます、でも自分らしくは踊れません」という姿勢。
自分をさらけ出して、明確な結果が出るのが怖いのかもしれない。
出来ないというのがプライドきづ付くから、あるいは怒られるから、チャレンジするガッツが無いときに、
「そこまで本気でやりたいわけじゃないんで」、とか、
「別あんまそこまで興味ないんで」、とか気持ちが引いてる。
当事者意識にブレーキかけて、他人事にして処理している。

もう一つの情動は、大きな問題があるとき、重圧的な感覚が、常に沸いて来る時期です。
問題の定義は決まっていません。お金であったり、人間関係であったり、
将来性であったり、恋愛もそうです。
戦いが決まっている、戦いの前の心境も同じです。
すべて重圧の回路は共通しているのです。
情動波形は退波を背負ったまま、上へは上がっていきません。
無派へ転回しなければ、どんどん窮波へ、追い込まれていくことになります。
試合の場合は、退波(退く心)を背負うことで負けが決まるようなものです。


ちなみにサムライは、退波を背負うだけで恥という思想です。
戦闘生理学


でも、「バトル出たらいい。やったらおもしろいじゃん
 自分を出して、恥かいてきな」
 先生は言うのだ。それがダンサー。
 

行くしかない。サグライフ。
ダンサーはダンスフロアに自分の足跡=生き様残すのが使命。
それがおもしろい、んだという意識をもつこと、
それがダンサーになるということ。*2


(P)

*1:この「自分はそういうのじゃない」という、謎の自分で自分に限界を設けるラベルを貼る癖。自分が何であるか、わからないから、自分探ししないとな、と思うくせに、実は潜在的に自分を相当狭い範囲に規定して把握しているという矛盾。自分探しする前に、つまんない限界やらプライドを捨てさえすれば、新しい自分や現実は自然にやって来るんだろう。ラベルはるのをどうにかしよう。気持ち悪い。

*2:発奮してとりあえず、MIXCD買った。DJ桜井晴美のやつが丁寧に作ってある感じでよかった。この人も、とびっきり音楽を愛しているのだろう。そういう気持ちって、不思議と伝わるもんだね。共感した。テンポ速い曲も多く、練習用にもぴったり