言われたことだけ、やってるYou Know?2

1 30代にして足腰が弱い
日常の、人と比べる、人の評価を気にするところを出発点とする言動は、全て受身、状況依存的。
これは、職場とか人間関係とかさえ変われば、何とかなるのでは?
とかという形で自分以外のせいにしている考えにつながる。
望ましい状態を作っていくことを考える際に、まず外側を変えようとする思考になる。
しかし、それって結局、状況依存的な態度でしょう。


それとは別に、自分の内側ではぐくみ、生み出す種類のことが出来るのではないか。
個人として本当に強いのは、環境の変化に惑わされない、気持ちとか、習慣をかっちりしておくこと。
本当に個人として強くなること。確立されること。
それを能力的な問題だけだと思っていたけど、
それは日々の習慣や規律が確立されていることが大前提。


2 では強くするには?

誰もが、自分のかけがえのない人生を大切にしたいと考えています。
自分を大切にするということは、自分の責任で、いやなことはいや、悪いことは悪い、とはっきり言える勇気とそれを正す力を持つことであり、主体性を持ち、自分の可能性を信じることなのです。
そのためにはうぬぼれでない自信を持つことです。お金では買えない、いかなる権力をもってしても奪うことができない自信と勇気を持ち、よりどころとできる自己を確立することこそ本当の強さなのです。そして、自分だけではなく、周りの人々の幸せを考えて行動するのです。


http://www.shorinjikempo.or.jp/about/true.html

今日のカフェソフィアのテーマは「信念」。この中で僕にとってかなり重要な話があった。21世紀は「強さ」の定義が変わるということだ。今までの強さは「必ず絶対に成功、勝利するというのが強さ」と言われていた。
しかしこれからは違う。分かりやすく言うと「失敗しても必ず立ち上がり、再び挑戦する」というのが本当の強さだということ。
時には3日、3ヶ月、いや3年かかるかもしれない。例え挫折したとしても再び立ち上がって、何度でも挑戦することこそが、これからの時代の「本当の強さ」なんだと。そのために大切なのは「志」、そして命尽きるまでという「信念」を自分の中に持つことなんだと教えてくれた。
実は僕が今その渦中にある。僕の中には大きな志がある。夢もある。でもどうやってもうまくいかない。今まで何度も挑戦し砕けた。自信を失いかけたことが何度あっただろうか。昨年春から始めた新しい試みも挫折し、その失意からやっと抜け出して、今また新しく挑戦しようと思いかけている矢先だった。今日タイミングよくこの話を聞いて、とても嬉しくなった。命尽きるまで……。


http://marvel.auvelcraft.com/blog/2005/02/post_19.html

「強さ」っていうもののとらえ方で人間は大きく二種類に分けられるような気がする。強引かもしれないけど仮に分けてみると、多数派はきっと、強さとは「勝つこと。」であり、「誰にもナメられないこと。」や、そういった態度や精神性だと答えるのではないかと思う。もちろん勝負の世界ではそれは真実で、文字どおり〈勝・負
〉〈勝・敗〉と二極化された構図の中でひたすら〈負〉を乗り越えて〈勝〉を目指すもの、という志向性がある。その中には一つの矢印しかなくて、答えが明白で多くの人と共に単純に信じられるものがある。
しかしもう一方の人は(きっと少数派だろうけど)こう言うだろう。強さとは「自分の一番弱い部分を受けとめ
られること。」私は後者を「本当の強さ」だと信じる側だ。


http://nonapon.blog43.fc2.com/blog-entry-52.html

本当の強さの定義は難しく、一概には説明することが出来ないが
まずは「みえ」をはらずに「誇り」を持つことではないだろうか。
武道は強く見えるためや他人から賞賛されるために稽古を続けるのではない。
自分の弱さを認め、その弱さに負けないように努力精進を続ける道だと思う。
いくつになっても挑戦を続けて本当の強さに自分も近づきたいものだ。


http://blog.livedoor.jp/zendoukaiakiyama/archives/50446624.html


最後のコメントを読んで、少しわかった。
自分の弱さを認めることから、はじめることだ。
その弱さに負けないように、努力精進を続けること。
そして日々その弱さを、克服しようとする営みだけは続けていくこと。*1
それが「誇り」へのステップなんだろう。

当たり前のことだが、強さは、肩書きよりも、実質に宿っている。
続けること、技を磨き続けること、探究することのなかに。


3 もう少しだけ深みを、今すぐに
われわれもそろそろ、「習得」のフェーズから、
次の「探究」のフェーズに移らないといけないと思っている。


習得は、必修課程終わらせればそれでいいんでしょ、という態度ですから。
先生に教えてもらって、与えられたものを覚えるだけ。
言われたことだけ、やってるYou Know?


それに対し、真理の探究、美学の探究は、終わらない。
でもだからやる。永久に磨き続ける。
それが、実質になるんだ。誇りになるんだと思う。


すぐにはうまくいかないもの、結果出ないものに取り組んで、長期間付き合っていくこと。
そういうこと、したことなかった。
今までいつも、短絡的に結果を追い求めて、
すぐに表層的・顕在的な他人の目に付く事にしか興味なかった。
そのため、いつも物事を目先の損得勘定で決めて、
考えが浅くて甘くてあいまいで、自分で何がなんだかわからなくなっていって。。。
それは、足腰の弱い存在たる証明だよ。


それに対して、今後は、自分が終わりなき探究を続け、
ある過程、ある旅路、ある人生を送っていること自体の
自分にとっての快適さや価値を向上させるために、
どういう取り組み姿勢がありうるのかということが主要な問題として意識されてくる。
損得はいいんだ、将来的な成功確率とか、心配して何になる。
心配している間に、すぐに自分に対して不安を感じるその弱さの矯正すべく精進したらどうだ?


結局、問われるべきは、
何をしたいか、とかではない。何が欲しいか、でもない。
どういう人間になりたいか、どういう存在になりたいかという問いにつきる。
それの意味するところとしては、
日々どういう生活を送るのか、というか、
どういう姿勢で、どれだけのこだわりを持って生きるのかということを聞いている。
つまり、何を探究し、何を人々と分かちあうのか、
そのために、どこまで探究するのか、を決めないといけない。


現状は、あるべき状態からは程遠い「状態」に、たまたまなっている。
このたまたまなっている状態をベースに物事を決めていくことに意味があるとはいえない。
だから、自分のあり方についての意識を少しずつ潜在的に変えていって、
最後の最後に状況の変化が顕在化すればいい。


他人の目に触れない時間があっても、
他人が見ていないからそれが存在していないと思うのは間違いだ。
それは無駄なことではない。
まずは、自分自信の意欲を、目に見えないものを信じることだ。

つねに葛藤を抱えながらも、彼を支えてきたのは「信じる」ということだ。
「今目指してる人たちも、ほんとに自分を信じていくしかないと思う。
そこに何があるかって言われても、やってみないとわからない。
だからやろう、好きだったら自分を信じてやろうぜ。」


「“自分が一番好きな自分”でいられるために、自分をプレゼンしていく。
その実現が一番幸せなことだと思うんですよね。
若いからこそそういうことができるし、余計なことを考えずに突き進んでほしい。
一生懸命やれば答えはあとからついてくる」。

http://www.morph-tokyo.com/pick_up/10.html


(P)

*1:先ほどTVで浅田真央が、今年の目標を聞かれて、「一日一日を無駄なく生きる」といっていた。このことじゃないか!!