脱ワーキングプアのために、インフレ対策のために

日経ビジネスまでインフレの話をしだしてる。
さらに、昨日発表された路線価で、家の近所は前年比+14%。
Pが上がっているんだ、名目でも給料上げてくれないとY下がる。
Pあげないで、Yさげない。赤下げないで白下げない。
よしんば給料上げてくれたとしても、
自然失業率仮説に立脚することで、労働意欲は萎えつづける。


とはいえ、これまでの学びとしては、
「他人に(貰う給料に)期待してどうするんだ」
「他人の支配下(評価)で生きるな」
ということではなかったか。
つまり、「給料上げてくれと言って上げてもらえる訳ではない」


では、どうやって値上げされたマクドナルドを食えばいいのか。
(青森まで行けば、安いかもしれない。)
生活-もっといえば生存がかかっているというのに。


自分で何とかできないのはなぜか。
悪循環があるから。流行のシステムシンキング風にいえば、

他人の支配下で仕事する
⇒萎える/勃たない
⇒ストレスたまる/やってられない
⇒発散したい
⇒消費による自己の回復
⇒蘇生(キリストを反復)
⇒金がなくなる
⇒仕事する…


これで仮にPが上がると、消費による自己の回復度合いが限定され、蘇生は困難になる。
これでは、majiでシステムクラッシュ5秒秒前(MSC5)の危機を感じる。


で、システムシンキングで問題がどこにあるのか分析。
結果①「仕事⇒ストレス」のところと、
②「消費による自己の回復⇒金がなくなる」のところがボトルネックだと判明。


問題の切り口としては、複式簿記的な考えで、
ストレスが溜まる、金がなくなるというときに、その反対仕分けが何になるのかを分析した。


俺は今まで、ストレスの代わりに、受け取る賃金を計上。
そして、その賃金をそのまま消費時のサービス業への支払費用にしていた。
お分かりのように、すべてPL項目。遷ろうフローなのです。
その間、歴史的存在としての自分のリアルな現況を示す、BSには何の変化も蓄積もされてない。
こりゃ、言ってみりゃその日暮らしのボウフラってこと。
悲しいかな、仕事やめたら(あるいはやめなくても)路頭に迷うようなBSになっているということです。
唯物的な金銭の蓄えがないというのとともに、
例えば再就職に必要となる人的資本も蓄えてないということ。
会社にいても、異動等がある以上、これは不安です。


人的資本とは何か。
具体的に言えば、目先の仕事を金のためにやっている人は、
あるプロジェクトが終わってしまえば、もうその分野についてそれ以上深い勉強はしなくなる。
その結果、そのプロジェクトを遂行したという遂行力のみが実績になるがBSには何も載らないわけだ。
一方で、経験をBSに乗せる資産にしようと思えば、さらに勉強したり、応用したり、
論文書いたり、いろんなやり方で市場価値のある資本にする。
そうなると、同じ遂行力でも、付加価値が違う(ことになる)。
運がよければ、もはや自分が遂行しなくてもアドバイザリーフィーが発生する順レバレッジ状態にもなる。
かように、BSの人的資本の部分で違いを生み出すことで、PLの部分が変わってくるわけだ。
逆に言えば、BSに何の技術進歩の効果が載ってこなければ、
永続的に特段の付加価値もなく業務遂行をするというだけになるので、
PLの成長、所得の成長はない。これまさに、ソロー・モデルですよ。


そして、俺はずーーーとPLだけしか見ていなかった。
BSなんて、考えたこともない、そのヒグラシのボウフラだった。
以前当ブログに書いた、
「効率よく物事を完了させられればそれで良い」という論も、
当然自分の労力・操業レベルの、営業利益率だけ見ればそういう結論なんだが、
それは森を見ていないんだね。
ところがBSにいろいろ資産があれば、
減価償却によるキャッシュフローや金融収支がザクザクという結果になってくる。
キャッシュフローや最終利益は当期の操業効率だけで決まるとは限らないわけだ。
仮に「仕事⇒ストレスたまる⇒業務終了後の独習で人的資産増大」という形なら、人的資本増大だ。
時間がたてば、その効果が付加価値としてPLにも出てくる。


一方、「消費⇒金なくなる」についてもBSには何にも残らないのでペケペケ。
とはいえ、「金を貯蓄する」ならいいのだろうか?
しかし、それだと、俺の既存された自己をどう回復したらいいのだろうか。俺はどうなってしまうのか。
また冒頭述べたように、P上昇により実質的な価値が下がりつつあるわけだ。
現預金といっても、利回りが長期金利レベル1%とかだったら、PLにはほとんど貢献しないし。
俺として、PLの効率を上げるというのがかなり重要だから、
結局藤巻さん等々の言うとおり、貯蓄するより投資しろという結論になる。

藤巻健史の5年後にお金持ちになる「資産運用」入門 (知恵の森文庫)

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付加価値を生まない時間は、人間を支配される労働者に変える。
同様に、キャッシュフローを生まない資産に明日はあるのかということだ。


どうやって付加価値を生み出す=PLに貢献する資産をつくるかということで、考えればいい。
それがもっとも効率の良い戦い方だ。
営業利益以下の項目をどうにかするために、BSを何とかしていくという考え、
こうしていかないと、マジで死ぬ。どれだけがんばっても、ワーキングプアーだ。
働く時間を増やすか、給料を上げてもらうかしか、向上が望めない人生。
どんだけブランド企業に所属していたとしても、それはワーキングプアでしかないんだね。
そんなことでいいのか。だいいち、そうなったところでそれは向上なのか。
一番上を他人(顧客)に握られている以上、PLだけを考えてどうにかしようとしても、
「あいつもっと払ってくれないかな」とか「景気よくなんないかな」とか、
もう人間としてさもしい方向に行くしかないようにできている。
この罠にはまってはいけない。問題は、BSだ。無形資産を含む資産の質だ。
その目的のなかで、初めて、レバレッジとかスプレッドの話ができる。
PLだけしか見てないと、これらの知識は宝の持ち腐れになる。


これまでは単なる景気変動に踊らされるだけだった。燃え尽きワーキングプア一直線。
でもここで一念発起して、貯蓄初めても、東京スタイルみたいになるだけ。
そうじゃなくて、もう少し、パテントで儲けるとか、資産流動化するとか、
BS活用してキャッシュ生み出す方法考えないと、楽にならん。


今日まで仕事と自己実現とか、仕事と社会貢献とか、
仕事の意味についてそういう観念的な精神論を腐るほどしてきた訳だが、
結局自分の抱える問題の解決に何の役にも立たないというのが現状だ。
このワーキングプアの現状を何とか、受け入れようとしていたわけだが。
下部構造が脆弱なのだから、つらいものはつらいに決まっている。
コーチングとかってすぐ、自己実現のサポートみたいなこと言うわけだが、
それが、本当に労働する人の幸せにつながっているのかはわからん。
企業の利益にはなるだろうけど。


結局、自分個人として将来が楽しみになるように生きない限り、希望は持てないわけで、
希望がないところに幸せはないわけで。
自分個人で質のいい資産を保有すれば、時間は味方になる。将来が楽しみになる。
それは幸せな生活の必要条件だと確信した。


(P)