そろそろ半期〆です

やはり、先行きを見たり、考えたりしてないから、どうにもならなくなってる。
未来がない。正確には、未来を見ようとする意志無能力だ・未来を見る能力が無能力だ。


これから何をするのかについて、人の意向に従う路線(準急)でやってきました。
が、すでに決められたことをやる段になってから取り組むのでは、もう遅い。
それはもう、構造上、受動的、被暗示的支配下であって、主導権とるのはきつい。
自分の意見?ハァ?あるわけないだろ。


将来環境がどうなるのかを自分で予測、想像した上で、自分でアクションを考える。
未来の見通しを持ってはじめて、そこに向けた行動が出てくる。
一種のばくちですけど。何か?
その行動が、投機として、生きた時間になる。
自分の認識が出発点となっている行動でないと、説明責任がとれない。
「説明責任」は、自己評価高めるうえでの下半期重要タームと思料。


今わかっている限りの、目の前にあることだけで動いても、
それは現状の環境に制約された、受動的なリ・アクションになってしまいます。
すでにみんなに見えているから、付和雷同的に取り組んでいるのかもしれない。
お前の心はどこにあるんだ?この現実に、物理的にしばられているのか?


また、すでにみんなに見えているところは、苛烈な競争があり、構造的においしくない。
戦略は未来を含んでいる。
自己流の未来の外部環境予測すらしないやつに、戦略も計画もあったものではないということ。

戦略市場経営―戦略をどう開発し評価し実行するか

戦略市場経営―戦略をどう開発し評価し実行するか

予測が当たっている外れているは関係ない。
将来の見通しを、他人からもらっている時点で、自主的な行動が取れることはありえない。


で、次の展開がわからないのに、闇雲にどうなるのかもわからない割高な努力や、
今の環境が先細りしつつ継続する想定での現状維持コスト=固定費支払するので苦しい。
朝満員電車に好まざるのに乗ったり、
税金払ったり、昇進のための小テスト受けたり、会社の制度で英会話学校出席したり。
これらは現状の生活をするための、最低限避けて通れないコスト、固定費支払い。
単に社会人として生きるだけでも、場代・テラセンをとられている。
通常場代を払うのは、ゲームに参加するためで、
魅力的なリターンを勝ち取るゲームに参加できるから、場代を払っているわけだ。
では、そのゲームはどこにあるのか。魅力的なリターンはどこにあるのか。


固定費を払って、入場してさらに決められたことを義務的にやるだけでは、
いろんなものが崩壊する。わけわかんねえ。
闇雲に目の前のことをやるとか、目の前の奴に気に入られようとするのは、
まわりが見えてないし、考えてない行為だったと整理されるだろう。
現状に依存しているからそういう状態になる。そういう状態だったら依存するしかない。
というカラクリの中で、燃え尽きて当然の、その場しのぎだった、となるだろう。

ビジョンを持っている人は内面が豊かです。輝いています。何かをしようと思うとき、その行為を続けていて五年先、十年先の自分が輝いていると感じられるでしょうか。ビジョンを持って進んでいる人たちは、未来に輝いている自分を発見することが出来ます。ビジョンを描くときに、ハートが機能しない限り、人は欲望(欠乏感、飢餓感)に振り回され、道徳や教義に縛られ、無意味な人生を送らざるをえません。


自分がやっていることに何の意義があるのか、自分を疑うなんてさ!
自分のいまやっていることに確信持つための、必然性持たせるテクニーク。
必然性というか、使命感というか、そういう当事者意識があれば、
焦らなくていいわけです。そうでしかありえない、と開き直るためのきっかけ。
外部環境分析。ズバリ、そこに癒しがあると直観。


(P)