暗闇へ、暗闇から

本日のダンスレッスンは、自分のレベルよりやや難しめでいい感じ。
とはいえ内容はハード、しゃかりきコロンブスを要求され、
それで息が上がるのだが、休みを取らない(忘れている?)
いまどき珍しいスパルタ教育ぶりに、
受講生の女性一名は途中からコーナーで灰になってた。


でも、そのルーティン、
ロックダンスの基本を習得するという視点から見て、
4エイトの長さにもかかわらず基本的なフレーズがかなり入っており、
単純なのにかっこいいため意欲を増進させるものだったので、
かなり満足の行くレッスンでした。


しかし、振り自体が俺には難しいのに加え、
今日の曲はJames Brownの早めの奴だったため、
音についていけず、能力の限界を感じる。
で、ついていけなくなると、
やはり前の人の動きをカンニングして、それっぽくやってる。
こなしているが、自発的な動きではなく、何もしていないに等しい。


いまだにこんなレベルなので、くやしいので、
一人で夜の駒沢陸橋近くの団地下の公園で夜練。
まさにムーンライト・クラブ(「バックダンサーズ!」の)。青春だよ。

勇気がなくちゃ 届かない夢 夜明けの街に映っているよ
キミもいつかは 羽ばたけるはず かけがえのない今を生きていれば


一人でやることで、まずは自分のペースで動けるようになってくる。
そこで思ったのだが、動けるようになるっていうのは、
結局脳に動作の処理能力の回路を作るものである。
つまり、問題は脳だ。


で、カンニングするのがなぜ悪いかというと、
脳で処理しないで、反射的に目の前のモノをまねているから、
脳がチューンアップされない。


で、このことは、日常で「他人の顔色」を見て動くことと同じ。
自分で考えて行動していないなら、脳は腐る。
他人をつい見てしまう。それは、本質的に何かが破壊されているよ。

動きは、一度見ただけでできるようになれば、どの運動をしてもマスターが早いでしょう。
反対に、何度見てもなかなかできないスロー傾向のある方は、絶対に基礎から訓練いたしましょうね。
人を見ながら、なんとなく動いているうちに数年経ってしまったという方は本当にその時間、お金、エネルギーがもったいないですから、主体的に動けるような訓練をしましょう。
人を見ながら踊れる3分よりも、見ないで自分で踊る20秒の方がはるかに価値があるということを学んで下さい。


こういった、目で見ることの罠が蔓延っている。
表層的な帳尻あわせで、本質がなくなってしまう。


逆に、目をつぶれば、自発で踊れているのか、踊れていないのか、判る。
そもそも、次にどう動けばいいのか、
それは自分で先回りで対応していくしかない。
しかし、カンニングがそれを邪魔する。
カンニングは目でやるものである。
自分の中にある能力があるかどうか、
それは見ないこと、視覚の排除によってむしろはっきりと分かるのだ。


このことは、目に見える現状だけにとらわれて、対処療法に走ったり、
あるいはそれを見ないようにして自分を騙したりといった、
目に見える現実を絶対視する「視覚の支配」から、
文字通り暗闇のなかに立つことを奨励するだろう。


逆説ではなく、真剣にダンスはまずは目をつぶってやるしかない。
だって、脳のカスタマイズは、暗闇の中で行われるのだから。
今の現実に無いものを目指すなら、ひとまず目をつぶらなくてはならない。


いや、しかし、もっと本質的には、
暗闇の中で動けない自分がいるということ、
その無能さこそが「暗闇」であり、
目をつぶっていても自発的に動ければいいのだ。


つまり、目が開いていることで「暗闇」にいることを見ないようにしているわけで、
そうであれば、目をつぶって文字通り暗闇にはいることでしか、
自分が「暗闇」にいることを自覚できない。


しかし、どちらが現実か。現実は「暗闇」ではないのか。
そうであれば、あえて自分から、暗闇に入っていくしかないだろう。
そこでしか、見えないものがあるのだから。
そして、その先にしか未来は無いのだから。


今目の前にあるはずのモノ、そこにある景色、世界それは、
目を開いても見えてこない、遠い何かとは違うものでしょう。
どちらを信じるのか、そういう話でしょう。


夜の公園の闇の中で、俺はなんか、目に見えないものを見ていた。
そしてうれしくなった。


昔、いまはN.Y.にいる上司に「おまえの目標は何だ?」といわれ、
「金がほしい」といったところ、「短絡的だ」といわれたのだが、
目に見える価値だけが、価値ではないのだね。


無形資産と呼ぶのか分からないけど、
見えない事象を積み重ねた豊かさもあるのだと思ってきた。
基本的なルーティンを反復してるだけだけど、
いつしか、その応用で自由自在に踊れる未来があるわけだから、
だとすれば単純反復錬金術じゃないですか。


そういうものの価値をさっぱり理解しないままここまで来た。
地味なことが実は宝石であり、
ラクタの中に宝があるということがね。
しかし、写真には写らない美しさがあるように、
今目には見えない豊かさだってあるはずなのだ。


しかも、その豊かさは、未来の現実を変えるかもしれないんだ。
表層的に服装や髪型を変えても、人生はそんなにかわらないけど。
毎日脳を鍛えたりしたら、人生に新しい展開が開けるかもしれない。


消費はいくらでもできるものの、したところで、
なんもかわらず、けっこう人生マンネリだったして空しいというのは、
90’s小室メロディで再三取り上げられたテーマだけど。


(↓その最高峰)
華原朋美/Hate Tell A Lie

そういう倦怠感やむなしさ。
そのひとつの要因として、これまで積み重ねる生き方をせず、
表面的なものを追い求めてきたことがあるのだと思った。
カンニングしてでも、結果だけ何とかすればいいという考え方の貧しさの帰結です。

どんなにかっこいい服を選んでメークをキメても、
実は片付けが苦手で部屋がいつも汚かったり、
外食やデリばかりの食生活で、"手抜き暮らし"をしていませんか?

あなたはクリエイティブではありません。
いつも外側に何か良いものはないかと意識を向けています。
内側に目を向け、今あなたができることを深く見つめて、
それらを生かそうとしない限り、決して創造性はやってきません。
自分を深めることなくして根が生まれることはないのです。
自分自身から逃げていては、本当の意味での創造的なことは決して起こりません。


もっと、人生にはなにかがあるはずじゃないか?
カンニングしたり、人の顔色みて生きる以外の何かがさ。
そこまで考えさせられる、今日のダンスだった。
マレーシア以来、何かが変わるかもしれない。
(※マレーシア、詳細はこちら)
ちなみに、来週は休講らしいので、代替案ヨロシク。


追伸:http://d.hatena.ne.jp/sixdayboys/20050806
で同じこと書いていた。真理は普遍だから回帰するのだと思っておこう。

(P)