ダイヤモンドは傷つかない

田中美佐子主演、ダイアモンドが傷つかないのは、成長のために、
傷を乗り越えるという論理があるから。
傷が、正当に位置づけられているから。

ダイアモンドは傷つかない [DVD]

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傷が正当性を獲得するのは、個人が自主的にある方向性を決め、
それに進んでいく限りにおいて傷を許容するというか、
覚悟するという態度があるから成立している。


この態度がないと、当然生きていれば遭遇する諸々の障害に打ちひしがれて終わってしまう。
日々の生活は、痛みを避けることだけが目的になっていきてしまう。
結果、リスクを避けたり、モルヒネをほしがったりしてしまう。
それは、まずいのではないかと思っている。


これは、いわば株式投資において損小利大を目指そうとせず、
絶対損をしたくないといって、百発百中を目指した当て物をやっている人に近い。
つまり、売買のルールが無い、システマチックな、統合された動きになっていない。
そして、結局その場の感情的な判断で動くことになる。
そして、こういう投資家は100%負けることが約束されている。
結局、傷つく感情を否定するという振る舞いは、
非常に感情に支配された振る舞いであるという逆説。


投資家にとって、損を受け入れないと勝てないというのは常識であります。
損を一部受け入れつつも、トータルで市場平均越えを達成する
戦略的、ルールベースの動きができるかどうか。
要するに、感情の反対語はやはり「ステマチックな行動」なのであって、
決して、「感情の抑圧」ではないということ。


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しかし、そういう不合理さに気づかずに、
とにかく「当面傷つかない事」を目指してしまうと、
これはもう緊張の連続だし、行動が支離滅裂になる。
衝突を避け、自己主張を避け、考えることをやめる。
しかし、これこそが、目先の感情に流された行動に他ならない。
感情の傷を無いものとするための振る舞いは、皮肉にも相当感情的な振る舞いになっていく。


で、それが固定化していき、
傷つかないようにするために、無意識にその場の空気に埋没していく。
空気になるという技。
都度都度、他人、自分以外の価値基準に合わせていくが、
それがあまりに自然になされるため、
自分でも何をしているのかわからないぐらいのものだ。


知らないうちに、リスクをとらないようになっている。
何も好き好んでやってるわけではない、が、事の当然としてリターンも低い。
割に合わないね。


そうこうして、傷つかないために生きたおかげで、痛みは感じなくなったが、
何を残したかというと、傷つく回数を減らしたというだけであった。
一貫していないため、何事も蓄積されないのであった。
むなしいと思うのだった。後悔するのであった、そして、過去を蒸し返すのであった。


しかし、ダイアモンドは傷つかないって事を知った。
田中美佐子に出会ってよかった。
傷つくことは仕方の無いことだという認識がいま、求められてる。
で、大事なのはその認識の上で、蒙る傷の意味づけが出来ないといけないということ。
わけも無く、いつも殴られている気がしてくると、もうだめだ。
何のために、この痛みを負っているのか、ということがはっきりしていないと。


なんかの実験で、どっかに犬を閉じ込めて、
絶対逃げられないようにして電気ショックを定期的に与えると、
もう逃げることをやめ、無気力になるとかいうのがあったが、それと同じになる。


何かを成そうとしているので、傷は仕方ないという意味づけ。
自分の意志でその傷を選んだと思えるかどうか、これがポイントだ。
そういう感情コントロールが無い場合には、
傷を負うことを受け入れることは不可能だろう。
そして、どこまでもその場の短絡的な反射で動いてしまう。


結局、一貫した意志という足場が無いので、
打たれて立ち上がる気力なんか無いので、
目先傷つかないようにしていたのでした。


そして、その一方でずっと、「強くなれば打たれなくなる」と思っていたのでした。
しかし、その方向性が間違っていたのだと思う。
正しくは、「強くなれば有る程度打たれても、立ち上がれるようになる」ということだ。


ここで正確には、上の2つの「強くなる」の意味は変化している。
前者の強さは、相対的なものだ、誰かとの接触時に打たれなくするための強さ。
人よりも、パンチを早く出せるか、もしくは打たれないように気配を消すとか。
しかし、ずーっと、誰からも一矢も報われること無く、大過なく逃げ切ることや、
物事をなす上で最低限必要な軋轢や挫折を、受け止めずにやりすごすことが出来るのだろうか。


一方で、後者の強さは、他人よりも、自分の人間性のことだ。
いちいちすべての他人に対応していくことを考えると、非常に複雑だ。
そうではなく、自分の方に一個原則があればシンプルで効率的なのではないか。
自己評価が高いといいなーと思うのは、
その辺いろんなやつのことをいちいち考えなくていい、
経済性の高さである。
打たれても立ち上がればいいと思えば、複雑性は相当縮減される。


強くて、経済的な人間性
自分の目指す将来像もだいぶ変わったのだった。


(P)