眠れぬ夜は(Hyper Country Euro Mix)

素うどん食べてられルカよ。肉が食いたい、という、本音。
それは、胃もたれしていないことが前提。
胃もたれしない強靭な神経。たくましさや生命力。
それを土台とし、その表れとして、感情表現が豊かになる。自分を殺さないで、ストレートに表出。
濃厚な喜怒哀楽は、それを支える肉厚感、肉食文化の表象であり、
かつ自分自身が脂ののった身体という意味での脂身。
横並びではない、自己主張が自然にでてきてしまうハビトゥス


この、帰国子女に対するイメージ、オリエンタルなオリエンタリズム
これは、身のこなしに対するシンパシーである一方で、
そこから一歩進み、その内面に秘めているものを仮想し、そこに偏愛を注ぐ。
その内面には、「人の評価を気したりすることによる抑圧」とかが無い状態(だろう)と仮想している。


そもそも、人間には2種類あり、自分と他人をどっちを優先するのかが違うという話がある。
言いたいこともなかなかいえない、自分が何をしたいのかも明確に出来ない、等の人と、そうでない人。
(⇒身近な例


他人優先というのは、あくまでも自分の上に他人を置き、
そこからの評価を大事にするという大前提がある。
これは、構造的敗因のような気がする。
自分のために生きていないなら、いつまでも心はむなしいので、本質的に負け気分。
どんなに努力しても、それと関係なく、負け。


その対極として仮想された「帰国子女」。
外面的にはナデシコしかし、内面は毀損されていない。そんな幻。


そして、ダンスは、脳内のテンション効果により、
俺たちにあらゆる拘束を免れる感覚を見せてくれた。
その非-抑圧という文脈で、一時的な「帰国子女」にしてくれる、それがダンス。


ゆえに、少なくとも内面(脳内の状態)で、
ダンス≒帰国子女、という定式化が進んできた。
そしてこれは、我々にとっての理想境でもあると。


客観的に、それは敵の敵は味方ということでしかないと思うかもしれないが、
これは「失われた自己」奪還の一環でもある。
自分の存在の濃厚さを回復させたいという実存的な契機があるため、根強い。
ルサンチマンだから。しつこい。

http://anond.hatelabo.jp/20070225141834
「おれは人の評価が気にならない人間だ」ではなく「おれは人の評価が気にならない人間になりたい」という欲望のようなものを感じた。


それだから、主要領域は相変わらず、
①肉を食うこと、
②ダンスすること、
③帰国子女、の三段跳び
そこから翻って木村カエラ、CD買ったらあんまり良くなかった。
みたいな事になるのだ。


原因は、カエラがそうはいっても帰国子女でありつつ、癒し系であろうとしているからだ。
これは肉入り釜玉うどんみたいなものだ。
それなら、叙々苑にバブルへGo!した方がいいじゃないかと。
いうラディカルさは、もちろん切実さの裏返しだ。


つまりカエラではなく、ジュリアナ東京
今聞かれるべきは、"James Brown Is Dead"の現代版である。
そうなると、どう考えても、これしかない。メインのくだりがまんま流用されているアレだ。
浮気なハニーパイ by.カントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)


ジャンルとしては「ハイパーカントリーユーロ(作者コメント)」だという。
この概念は、LOHAS以降のバブル願望を象徴するタームである。
PVでは、サイバーな空間で藤本美貴が夏の高原での部活のごとくテニスをしていることとも相まって、
今の気分にふさわしいと思い候。

(P)