失う恐怖。

近代マネジメントの要諦は、恐怖に訴えるということ。
面子を失う、収入を失う、生活レベルを失う、評価を失う、円滑な人間関係を失うことをほのめかし、
人を駆り立てようとする。


しかし、考えてみれば本当に自分のものであれば、失うはずがないのだ。
所有権は不可侵である。
来月の収入が下がることで脅されることはあっても、いったん与えてしまった給料を奪うことはできない。
逆に言えば、奪われる可能性のあるものは、リース資産もしくは負債だろ。
負債を自分の資産だと思いたいという気持ちはただの粉飾である。
このような本当は自分のものではない肩書き、サラリー、他人のざっくりした評価等にすがる気持ちは、単なる虚栄心である。
恐怖は虚栄心から。


虚栄心へのこだわりは、愛情の不足・欠落感覚を埋めたいという気持ちの表れである。
幼少期を中心とする愛情環境は当人には制御しかねる部分もあるものの、やはり根本のところで精神的に貧しい状態の人間は、恐怖による管理の対象となりやすい。
また、結局のところ自分のものでないものは決して不足を埋めることはできないわけで、虚を実にすることは100年たっても無理だ。
つまり、恐怖による管理の奴隷は一生奴隷階級。


対策としては、虚と実の区別、公私の区別、男女の差別でなく区別をきちんとして恐怖による管理には毅然とした態度をとる、
他からもらっているものは、あくまでも他のものであると認識する、
移ろいやすい他人の評価とかではなく失われない「実」をどれだけ集められるかに集中する、等が考えられる。


(P)