その先にあるもの

振り付けを早急に覚えるためのダンス脳、
この発達に努めてきたわけである。
そのため、最近はレッスン中に頭には何をすればいいのかが、
浮かんでいる。認識している。


今週もそうだった。
やるべきことはわかっているはずだ。
が、その先、最前列鏡の前に来たときに、
カンニング無しの自分発信で動けているか。
答えはNO。
逆にプレッシャーでテンパってるよ。俺たち。
これは、事なかれ主義、集団主義に馴れてしまった自分の精神への警鐘。


日本代表のFW陣がよく言われていることだが、
なぜ自分で打って決めようとしないということ。
これは、極限状況では、どうすればいいかということの認識だけでは、
体は動かないということ。
そしてそれは、玉田選手だけの問題ではない。


一人ぼっちでも、何かを執り行うための精神力。
歴史を振り返れば、
中田英寿はそれゆえ、脱日本=セレブ化を果たしたのではなかったか。
中田語録 (文春文庫)


我々も、本当に向き合うべき課題は、技術的なものではなかった。
大事なのはダンス脳ではない。
責任を全部負えるのかどうか、
自己主張、つまり自分固有のものの生産ができてるのかどうかということだ。


責任を取りたくないからといって、
集団に埋没しようとする気持ちに負けて、
妥協をするなと。
生き方の固有性が問われている。
本当の問題はそこにあるということだ。


いよいよ、セレブ問題について、
本格的な検討段階にさしかかったと認識している。


(P)