労働における信仰

「働く過剰」という無料レポートより。

働くとは、理解不能、意味不明、理不尽、論理矛盾、そんなことばかりなのです。
その中で「僕はちゃんと筋道が通って、意味が解からないと働けないんです」、となるとこれは働けないですよ。実は、ニートや引きこもりの子たちは、大体、真面目で意味を考えすぎる傾向にあります。


意味などない。
そんな無間地獄でも、やる気を出せる人もいるし。
そこでやる気を出せるかどうかは、信仰の問題だろう。
意味を考えすぎないとしても、信仰が持てるわけはないから。
それとこれとは交わらない話で。


歌舞伎町ホストのドキュメンタリーに、
一週間ぐらい連続で一晩に300万ぐらい使う22歳女投資家が出ていた。
「人と同じ事をしていてもだめだ」的なことを言っていた。
同様なことを動機として、AV出演した20歳女子の映像もあった。
それと、サラリーマンの動機は同じじゃないと感じている。


まじめにサラリーマンをする=大過なくやることは、
基本的に保身の部分もあるので、これは善悪ではなく生きることのグレー自体だ。
が、日々の仕事に対し、
自然とやる気が湧き上がるかどうかについては、もうこれ、信仰の問題。
「何の意味がある」というのはもう存在しているものに対して言ってもしょうがない。
この世に神秘はない、この世があることが神秘なのだ。


やる気とかについて、人よりも劣っているといって悩んでたりした。
逆に、保身をしている自分をとやかく言ったり。
しかしこれらは、全くの無駄だ。
まず、リスクをとるかどうかと、仕事に意味を見出せるかどうかとは別の話。
たとえ、リターンが大きくても信仰がなければ、無駄としか思わない。
給料高い仕事でも、信仰がなければ虚しいことに変わりない。


結局、萎えているんだ。
インポテな状態なのに、東京パフォーマンスドール全員に迫られている的な絵だ。
無理なもんは無理だ。何しても勃たないんだから。
ニート対策とかいってるが、インポテを直す事はできるのだろうか。
やりたくないのに迫られたり、やさしくされても、
結局信仰がないし、たたないし。不毛である。


一方で保身に走らざるを得ない人間性を持った場合は、
開き直って自己矛盾の怒りをエネルギーとしてやっていくしかないというのが現実。

75%が仕事に無気力=20〜30歳代社員−野村総研調査

上場企業の20―30歳代正社員の75.0%が「現在の仕事に無気力を感じている」ことが、野村総合研究所が5日発表した「仕事に対するモチベーションに関する調査」で分かった。4割以上が転職を希望しており、同社は「仕事での成長実感や社会的意義を感じられず、容易に転職を考えがちな若者の姿が浮き彫りになった」としている。 (時事通信) - 12月5日15時1分更新
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アメリカでは、19 世紀末に、フレデリック・テイラーが、成果主義のプロトタイプといえる単純出来高給制が、作業のノルマを達成すればノルマの切り上げを招く(ラチェット効果)ため、ノルマを達成せぬよう、職場ぐるみでそこそこの出来高にとどめる組織的怠業を生んでいることを指摘した。


訳わかんないので自分なりの疑問点をまとめる。
仕事の意味を考えないでも、やる気がある奴がいる。
これは、なぜか?
意味があると思っているからある、という状態だからだと思った。
それは信仰に近いと思った。
では、どうしてそういう信仰を持ったのだろうか。これが第一の疑問。
で、根拠はないとしても、目的はあるかもしれないので、
信仰は何を目的とした信仰なのだろうか?これが第二。


よく目的として出てくる、お客様の役に立つ、
社会の役に立つという目的は、どういうことなのか理解できない。
これは俺が酷い人間なのかもしれないが、
たとえば朝、ラッシュの電車に乗ってるときに、
俺はその電車の車掌さんや運転手さんに対する感謝の念を失念している。
そういう失念状態が世の中の大半だという認識である。
役に立ってるつもりで、失念されている気がする。
被害妄想ではなく、まあ、そんなもんだろうと思う。
22歳の女投資家だって、投資を通じて資本市場の効率化に役立ってるともいえるし、
20歳のAV出演した女子もしかり。
ものは考えようだ、という話になってしまった。


じゃあ、社会とか他人とかじゃなくて、
自分自身の充実感とか、幸福とかについては、
今のところ俺は、給料日に少し感じたことガあるのみなので多くは語れない。
仕事をしてる最中に幸福を感じられるようになれれば最高だが、
少なくとも休日のほうが楽しい。
金があったら、リタイアしたい。
そういう大前提がある以上、同じ金額を取得するなら、
居酒屋ワタミのバイトなみの長時間労働よりも、
先物取引で取得したいと思う。
が、世の中には、ワタミのバイト的なことにやる気を出せる人もいるはずだ。
たぶん、仕事を生活費・財産形成原資獲得のためのノルマと感じていない。
しかも、ワタミのバイト的なことは定型的であり、
自己実現につながるわけでもない。
全く持って不思議だと思うのだが。
(P)