誰が柱を立てるか

今週のゴングには小力ではない、オリジナルな方の長州が、
本来個人主義を貫くべきプロであるにもかかわらず、
「俺たち」を主語にして吠えているレスラーを叱るロングインタビューが。
もちろん、15年ぐらい前に「俺たちの時代」を唱えたのは誰だっけか、
というツッコミはあるにしろ、誰かが主語を「俺は」にしてリスク取っていかないと、
この(そしてどこのでも)世界は終わりという主張は、
さすがトップを張って来た者の重みがある。


確かに、無意識で選ぶ主語に知らず知らずの依存心が見え隠れ。
そして、その無意識が人間の真実かもしれないというのが精神分析です。


長州はさらに、スターは2人必要ない。高い波に乗れるのは1人だけだ。
外は寒いですよ、どこも行くところなんて無いんだ。
輝けませんよ、どこにいったって、そんなことじゃ。と続ける。


依存心があるというのは、人に借りを作っているわけで、借金があるのと同じだ。
精神的な債務=利払いで稼ぎはほとんどなくなってしまう。
インタレスカバレッジの低下は、安全性の低下だ。
無意識に自主性の弱い他人に左右されやすい状態に、自分を置いている。
それが全ての脆弱さの原因。
うっすら感じる、自分はこんなもんじゃないという不本意感、
本来の価値を顕在化できていないという感覚の真相。
で、それがズバリ、スターになれない原因だ。


依存心の根本には、自力では状況に対して打つ手なし、との認識がある。
そして、少なくとも、流れに乗って生きたいという程度の野心が芽生える。
端的に生育環境の影響もあるが、これつまりフリーライダーって言うだけの事で、
それを根本的な戦略に据えている現状には、それしか出来ないのか?といいたい。

はじめて出会う政治学―フリー・ライダーを超えて (有斐閣アルマ)

はじめて出会う政治学―フリー・ライダーを超えて (有斐閣アルマ)


原因を考えると、固定観念に囚われているのではないかと思われる節がある。
それは、たとえばサラリーマンががんばること=社畜との信念。
逆にカッコいいこと、とおもっているのは、
無闇な反抗、従順でなさ、人の言いなりにならないということ、
具体的には遅刻常習の人間がそれを自分の個性、
体制に巻き込まれない自分の独自性と主張するような哀しさ。
無意識的に本質的なところで依存心のかたまりであるくせに、
あるいはそうであるがゆえに、無駄な抵抗を試みている。
そのような、無意識的なフリーライダー感が昂じて、
自分が居なくても会社は回る、世界は回るっていう認識にいじけている。
だから、ついつい考える必要自体が無いのに、
自分が居なくても・・・という仮定で物を考えるが、
それは考える必要がない無意味なお題。


自分が会社に行かないと、何も始まらないと思うのが、スター。
自分がやるからには、人がやるよりも特別な形にしたいと考える。
逆に、最初っから、状況にただ乗りする気で、
特別ステキなことをするつもりがないなら、現実は灰色に。
仕事の意味は、私から野球を取ったら何も残らない、
というようなフィクショナルなコミットがあって初めて発生する。
難しいことではなく、人の後ろをついていかない、
タダ乗りをしない、というだけのことなんだが。


長州が言うように、みんな輝きたいと思っているけど、
高い波に乗れるのは1人だけ。
当然のことながら、実感。
いいインタビューだった。


(P)