健全化の要諦
アウトプットを出すために、インプットを行う。
これは大前提ではないだろうか。
いろいろと溜め込んでても、
出口が見つけられなくてダブついてきたらもうおしまいだ。
仕入れたのに売れないでだぶついた資産。
それは資産だけど、資本コストをまかなえない資産。
待っているのは減損→破産ブレイクダウン。
社会的に用のない存在。
たとえば、俺が好きなテレビだけを見てすごしたとする。
仕入れたのは、最新のタレントのリアクションとか、
北斗晶夫妻の夫婦愛とか。
そんな情報は誰もほしくないから、これらは全て無価値となる。
テレビじゃなくても、その辺の経済の本とか、哲学の本とか読んで、
賢くなった気になっても、それが何も生み出さなかったら不良資産だ。
別に個人に会計基準を適用する必要はないというかもしれない。
しかし、インプットとアウトプットのバランスが大切なのは同じだ。
理由;価値はそれを受け取る人がいて初めて価値となるから。
一方で、仕事。
これは、俺にとってそんなには結構興味のない、
ストラクチャードファイナンスとかの知識を詰め込む。
が、これはお客さんという受け取る人がいる。
①好きなこと→受け取る人がいない→価値がない
②好きじゃないこと→仕事なので受け取る人がいる→価値はあるはず→でも自分にとっては微妙
という2つの流れにて、どちらも価値の地崩れが起きてしまう。
何をすればいいのだろう、と悩む。
で、多少仕事に結びつきそうで、好きそうなことをはじめてみたりする。
なんか、興味が持てそうな資格を受けるとかの勉強。
しかし、勉強したことで金を取れるようになるのは何年先のことなのかと考えると、
とても長い間アウトプットなんて出せないとわかる。
でもしょうがないから英単語やら××の定理やらをまたもや頭に溜め込み続ける。
そうやって不良資産をさらに仕入れ、腐っていく。
そのうち特に思い入れもないので、勉強は道半ばで倒れる。
シビアな話だが、アウトプットをしないといけない。
人が価値を認めるような。ちゃんとしたものを。
それが第一で、いろんな理屈とか知識とか、
遊び半分の役に立たないものばっかりなら、
それはもう不良資産でいっぱいなのだ。
どんなに自分が好きなものでも、それは結局ゴミになる。
そういう流れで、消費を抑制して投資しろとか、
マイホーム買った奴は負け組とか言われるわけだ。
好きなことをするだけでは、アウトプットがままならず、
全てのバランスは崩れてしまう。
だから、苦行のような日々の仕事に励むのは、
なんとかしてアウトプットを出さざるをえない環境に身を置かせて頂いて、
人間としての生存のバランスを取っているということなんだよ。
パン代を稼ぐためというのではなく、
自分自身が破産しないで生存するためにやっているんだ。
生きるために働くということ。
働くために生きるということ。
参考文献:
- 作者: 越純一郎
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