Say What You Will

つたえたいことは、つい孤立無援だと思ってしまう日常の中でも、
地球のどこかにはトライブがいるということ。
たまにしか会わないけど、久しぶりでも話ができる。
客観的な意見のメールなぞをくれる。


日々、東京砂漠で時代に追いかけられてるうちに、
調子悪くて当たり前になってたりするとしても。
クールダウンの給水所みたいなものか。
トライブと呼べる幸せ。
友だちへ ~Say What You Will~



友達つながりで、週末は↓を読んだ。

友だちができる本

友だちができる本

子供向けの本だけど、
個人として他人になにをしてあげられるかっていうのが、
人間関係の基本ですと。


これは会計基準が、簿価純資産法からDCF法へ移行している現状とパラレル。
人間の価値を測るときの基準が肩書き等ブランドの簿価から、
そいつが自力で将来生み出す価値へと転回しているんだ。
そうなると、今期以降、組織の名前とかで下駄はいてた人は即減損ですから。


やはり、アングロサクソンでは米国流の時価会計基準が、
子供のころから徹底されてんだ。すげえなー。
俺、この本ガキのころ読まなかったのだが、
みんなは物心つくころから知ったのだろうか、
この割引キャッシュフローの原理を?


日本のサラリーマンの親父が嫁や家族とかに相手されなかった
りするのは、家族を他者として認識して、何をしてあげているか考え
ないというのもあるんじゃないか。
そして、そういう能力は、役割になりきらざるを得ない会社にいると確実になくなる(学校
はどうだろうか不明)し、テレビばかり見て受身の生活をしていることで、気遣い能力が減退することも一因ではないかと
(参照 “子”のつく名前の女の子は頭がいい―情報社会の家族 (新書y (045)) ←名著)。


欧米人並みの、愛情表現、しかも愛情の間接表現こそが
コミュニケーションの洗練されたあるべき姿だとしても、
愛情や好意をどうやって見せれば良いのか、
今一アドリブ効かなかったりして呆然とする。
そういうことやってきてないよな。
メールひとつで、変わるものもあるというのに。


本当に相手の幸せとか、考えてるのかと。
考えると、やっぱり最高の欲求は自己実現だろうから、
相手の自己実現に寄与したいと思うが、
そもそも自己実現てなんなのさ、
自分自身が自己実現してないし、
自分の内なる声を大事にしてないで生きて来てるからわからないので、
相手にもどうしていいものか考えたり。
そうこうしているうちに、30年暮らしてみたけど、
一緒にいてもつまんねえ奴だなー、とかって思われるのは、
ほとんど死刑宣告だな。


やっぱり役割としての部分と個人としての部分が、
いままでの社会では余りにいびつなバランスだったのかもしれない。
だから、これからはまず第一に「個人としての大儀」が重要になるという意見に賛成。
それが普遍化していけば、「大儀=仕事」という理想的な形になるかもしれないし。


で、一人ひとりのライフスタイルのニーズにあった労働形態の多様化が、
それを下支えする基礎条件になると思う。
もちろん、長時間労働したい奴はそれができるというのも大事なので。
俺も、まだ忙しいとはいえ、
前の会社のような盲目的な労働の仕方ではないので、
そういうことが少し理解できる。


そうすると、学生時代から、
個人として人に提供できるものがどれだけ増えたのか考えさせられる。
貴乃花親方みたいに相撲に勝って、勝負に負けたら、
なんにもならんのではないかと、宮沢りえ好きの俺は考えます。


今だけ感じられる切なさ確かめたいので、
りえサマの"Dream Rush"をリクエストします。
(ちなみに俺は7inch持ってます。自慢。)

(パイン)