釣行記 番外編「なぜ釣りか」

村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』が好きだった。
主人公が父親に教わったハンティング(狩猟)を通じて、
世界を裏で牛耳ってるようなシンジケートの重要人物と知り合う、というエピソードが登場する。


コインロッカー・ベイビーズ(上) (講談社文庫)


狩猟と言うのは、弱肉強食という大前提の上に成り立つ行為で、
これは狩猟だけでなく、経済活動にもあてはまる。
作中では、アングロサクソン的な象徴として狩猟が使われるんだけど、
だって、アングロサクソンは狩猟民族で、我々は農耕民族だからね。


日本でもアングロサクソン的な経営手法として、ようやく企業買収的なことが取り沙汰された。


俺の場合は、経済活動における弱肉強食、よりも前の段階、
つまり、「食う」「食われる」ってことを理解したいと思って、
それを進めるには、狩猟しかないと思った。
これがひとつ。


「味付けしないで、そのまま出せ」と思うことがわりと頻繁にあって、
少なくとも肉やパスタ、蕎麦なんかは、ソースもタレも使わずに食べる事が多いんだけど、
それって、俺の中に「おまえってどんな味なの?*1」という気持ちがあって、動機になっている。


そして、ふたつめ。
「(捕)食」という行為は、分解すると「食材調達」「調理」「食事」になる。
しかし「食材調達」という部分は、
マルエツで食材を買い揃える」のがあまりに簡単過ぎて、
ほとんどフォーカスされることがない。
マルエツでのお買い物の仕方」なんてハウツゥ本がないことからみても、その簡単さは浮いている。
大昔は「男は肉調達」「女は野菜調達」と分業されていたにも関わらず、
今では専業主婦(主夫)なら、楽々どちらもこなしてしまう。


俺は「調理」に対しては、知識がほとんどないし、悪いけど興味ない。
そのままの味で食べたいからという理由もあるが、
それだけでなく、「食材調達」に対する気持ち(不安)が強すぎる
将来は自給自足の生活を送りたいと考えているが、
実際、そうなってしまえば、調理よりも食材調達の方に工数を割かれるのは明らかだ。


そのような理由で、ますます「狩猟」に対するニーズは理論上、高まったが、
猟銃のような凶器を扱うことも、動物を自分の手で殺すことも不安でしょうがない。
いざとなれば平然とできる気がするが、それはそれで怖いことだ。


そこで、まず「釣り」から始めようと考えた。
相手は哺乳類ではないが、捕食であることには変わらない。
さっきまで竿の先でビクビク跳ねていた感触が、皿の上で内蔵を取り除かれ、白身を晒している。
一日前の同じ時間は海の中を泳ぎまわっていた。
そして十五分もすると、背骨を残して胃の中に収まってしまう不思議さ。


これが「食う」ということなのだろうか。
キャステラ

*1:97年度「女の子にキスする前のセリフ」ランキングより抜粋