俺の大恐慌*1

 ばりばり働くとか、結婚するとか、それでも会社辞めて留学するとか、そういった学生時代に想像した大人時代はおおむね20代の話であって、その先にある中間管理職になって人間関係で頭が薄くなるとか、子供が出来て育児に追われるとか、借金して家買って庭いじりするとか、そういう世界は考えていなかった様な気がする。大人の先にあったものは世知辛い現実だけなのか、と想像する。

http://d.hatena.ne.jp/bohemian_style/20080902/p1


サバイバルに漠たる不安があって、目先のこととか、明日会う人たちのことを考え、
どうしようとか、【どう適応する】そんなことばかりに神経をすり減らしている
時間を売っている以外のナニモノでもない


そんな現実は自分の思い描いていたものと違う現実だけど
結局いつも【仕方ない】ということで


やってみたいこと、知りたいこと、表現したいこと、
そういうところから、自分がどういうのが好きか?気持ちいいか、
どういうことが出来たらよいか?、忘れた、わからない


考えていないというよりも、
それがどういうものなのか、どうすれば見つかるのかがわからないという意味


ので、ざっくばらんに、過去を振り返る。
0代、10代、20代では、したかったことを、【したか?】
というか、したかったことが、【あったか?】
そうかんがえると、
今までそうでも無いのが現実なのだから、仕方が・・・

アキハバラ発〜』の論考の中で、斉藤・東の両氏が、人生の若者の間に人生の「偶然性・ギャンブル性」といった感覚が共有されているのでは、という指摘があった。成功したものも、失敗したものも、偶然こういう人生になってしまったのだと。それがときに失望感を生んでいると。
ただもしこれが事実だとすれば、「若者」が感じているのは偶然の名を借りた必然でしかない。
筑波批評社の文章でも書いたが、「偶然こうなってしまったのだ」→「だから仕方がない」という連鎖は、偶然を経由した必然性の密輸入である。
自分を取り囲む大きな世界が作動し、周りに周った結果自分が現在の境遇に至ったのだという思考は、確かに自分の手の手の施しようがないという点では偶然的だが、「だから仕方がない」という諦念につなげてしまっては、他に選択肢がなかったかのような、宿命論が首をもたげてくることになる。

http://d.hatena.ne.jp/klov/20081007/1223375536


仕方ないとか我慢してて、周りはそういうもんだと思って、調子に乗る、
というか、そういう前提で役割を振ってくるので、もはや何処にも自分はいなくなる
自分の感じていること考えていることは無いことに。自分はいないことになる。
昔の言葉で言えば「透明な存在」


金のため、保身のため、目先の孤独や退屈を恐れて?
そんなことを続けてもう40代が見えてしまうから
未来はどんどん限られ、時間が経つ程ジリ貧になり、そういうもんだと思って回りは調子に乗る


意味の無い我慢に対する対価など、この世には存在しない
私はこんなに傷ついた、こんなに(意味の無い)我慢したといって何になる
誰にもそんなことは知られることはない
他人から承認されることはない


環境に適応して生存はしている、それだけが目的になっている
しかし、生きているとは言いがたい
自分で無意味だと思ってしまったら、それが全てだ
自尊心が失われる
救いようはない


要するに自分のことを早い段階で抹殺しました。今、悪かったと思っている。
しかし、我慢にも限度があり、人生が有限でモラトリアムが後退するなら、
もう、未来を犠牲にするような選択、
これがこのまま続くのはいやだと思うことは拒絶するしかない。


逆に、気を取り直し、今後の目標-計画を立て、
今後、そういう方向に行こうとする舵取りをすることを○○という。
※○○を埋める


すると、これまた癖として、
どれだけやれば、いつ頃結果がでるのか?
要領よく辿り着けるのか?
上手くいく秘訣は?
もっとラクできる方法は無いか?
とか、やる前から「改善」
しかしな、
そんなことはどうでもいいんじゃ。


というか、そういうことを言っていられるうちはモラトリアムです。
それが今や、ハッキリしている。
いくしかないんじゃ、と言うことです。


改善して「自分のやり方」とか探すのは、言われたことだけでも
そのまま、きちんとできるようになってからにしてくれますか?
何も身について無い奴が工夫したつもりでも、
変なことになって結局遠回り、どこにも辿り着かない
当たり前に基本ができることが第一条件
そういう謙虚な気持ちで大きく成長してみないか?

自分のなかで「好き」と「得意」を分けてみる。そして、まず「得意」の技術を磨き、そこに「好き」である遊びをプラスする。


大きな壁を乗り越えたいなら、「壁貯金」をするといい。小さな目標を立て、それを達成してみる。小さな達成感が積み重なって、「自信のかけら」がいくつか集まったとき、大きな壁を突破できるようになる。
自信のかけらは、何だっていい。そのかけらを積み重ねると、モザイクができるでしょ。その模様が個性なんです。自分のスタイルと言ってもいい。それができると、生きるのが少しラクになりますよ。
http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/proron/0843/proron_0843.html?__m=1


この転換を、大恐慌だから可能になったリセットボタンといわず、なんという。
終わった。そうなってほしいね。大恐慌で。
というか、そう思える時点で、終わった。


よって、今後(どうということも「無い」)現実に適応すること「だけ」を、
適応することというか【我慢する】ことだけを、そんなことだけをしていると、
したいこと重心がずれるので、
ずれないように、ここに思うところを書いておく。


何でもいいんだ、【(小文字の)自分の希望】を追いかけて雪国
それがGoodLifeなんじゃ!


と、突如まさかの大仁田風に。
大仁田である。
もはや松岡修造ですらなく、大仁田というのが大恐慌ならではの。
ファイヤー !! (DVD付)


そうです、どこかの居場所に所属して、場の空気をよむ癖。
→周りが勝手にそう思って押し付ける役割に自分を無理矢理適応させる癖
そんな、ここまでの日々、是適応(我慢)でやりすごす【生きる術】は□□だね
※□□を埋める


時間も迫ってきた、昔やりたかったことはきちんと消化→牛歩戦術はやめる


特に、金持ち父さんのボードゲームを今更やる、
いずれ英語圏で暮らすぐらいのことはできるようにしておく
そのうちワンルームマンションを買う


ダンスは「俺が何を表現するか」という観点から、
・俺は少年隊へのオマージュとしてのダンス表現を
 特に、今こそ「バラードのように眠れ」を踊るそのあと、
 「君だけに」。役どころは東。JAZZをやるということ。
ムーンウォークを習う。POP。アニメーション。


将来の「愛着の持てる役割」のために今できることをやる、それがいいと思った。
自分の希望していないことはどうせ上手くやれない。それだけのことだ。



(P)