「勝算無いことはやりませんよ」党宣言

天才は、自分の美学に従って動いている。
表現したいことを、際限なく追求している。
リミットが無い世界にいる。
「言われたこと」をやればいいとかいう形で、限界を作っていないんだ。
美学に限界は無い。表現に限界は無い。
それが自由と言うことかもしれない。
http://d.hatena.ne.jp/sixdayboys/20080416

フロムの定義で、自由には2種類あると。
ひとつは、「○○からの自由」
これらは、否定するそのものの存在によって成立するため、
そのものにとらわれることになる。
「じゃあ、何がしたいの?」と問われた場合の対案が出せず、
ただの不平不満や愚痴になりがち。


一方で、「○○への自由」というもの。
自分の価値観、美学、想念を外の世界に表現していく自由。
こっちが上で言う『リミットの無い世界』に近い。

自由の定義:「…への自由」と「…からの自由」
・「…への自由」:自我の実現を目的とした「全的統一的なパースナリティの自発的な行為のうちに存する」積極的態度(p.285)。愛。
・「…からの自由」:個人が独立して存在する前につながれていた社会的絆(一次的絆)から解き放たれること。結果、人間は「個性化」への道を歩み始めるが、その反面全てから引き離されていると自覚し、無力感と不安感を抱く。消極的態度。
http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/kenkyu/00f1/fromm.html


自分の美学に従って、というと難しそうだが、
「こうだったらいいな」という思いに忠実に生きるということでしょう。
自分のスタイルと言うか、あり方の問題として。


けれども、それすら素直にできないわけ。
具体的に、こうありたいとか、あれが欲しいとか、素直にいえない。
ネタとしてはいえるが、本気で強い願望をもっている感じにならない。


たとえば、「ハマーが欲しい」「あのセレビッチと仲良くなりたい」等々、思っても、
「でもどうせ・・・」「まあ、なくてもいいや」 「死にはしない」
という思いが、もうこれは無意識的に張り付いて出てきていることを先ほど確認。
もう、あたりまえのように、自分で自分の欲望とか感情を抑圧と言うか、否定しているんだよね。
自分の欲望・感情の否定というのは、自分の固有性の否定だから。
自分で自分であることを否定しているんだったら、それこそが「死」だよ。
ハマーが無くても「死にはしない」 けど、その欲しいという思いを否定することは「死」だ。


で、「まあ、いまよりちょっと給料良い仕事・・・」「見栄えの良い会社・・・」
「人間関係が今のまま安泰なら・・・」とか。
そういう現実的な願望だと、あんまり否定の言葉は出てこない。
だから、それが自分の願望=夢なんだということになるのか?
で、それに向けてがんばりましょうと。
そんなことが望みなのか?


それは夢でもなんでもなく、「落としどころ」だ。
今よりちょっとがんばること、いまの延長を目的にすること。
生産性改善 ?というか、より良い飼主の模索?
結局、現状の思考回路そのものがダメなのに、小手先で、
「現状からの自由」 を「落としどころ」にしているんだ。
そしてそれは、愚痴や不平不満と大差ない非生産的なもの。
がんばれるわけない。
それどころか、むしろ不自由感、現状維持感、拭い去れない受身姿勢 は一層深まる。


他人や社会、そしてなにより無意識の自己評価に遠慮した自主規制の願望は、
自分で考えているようで、実はより巧妙な他人のための人生の準備だ。
無意識下の自分の固有の欲望への事前検閲をして、
そこででてきた落としどころを自分の理想だと思い込むことで生存しようとするのは、
何が良いのか、どうなりたいのかを自分自身が決めることを諦めているのに、
それを隠そうとしていて、生からの疎外とアパシーの顕れを感じざるをえない。
どうしても拭えぬ無力感=理由の見えない敗北感 の正体はおそらくここにあるんだと思う。


まずは、素朴に自分の欲求や感情を受け止める訓練をしたいとおもう。
ハマーをかんがえて、心の中で否定的な言葉が1分間出てこないようにする訓練。
しかし、ココロを鍛えるにはどうしたらいいのか?わからん。
この本でも読んでみるか。

自分がもっと好きになる!「思いグセ」を変える7つの鍵

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現実的な目標に下方修正するのは、失敗や不安定性を恐れる生命力の脆弱さだろう。
それゆえ、自分としてはタフガイにあこがれるのだが、
実際にやれるかどうかについて、HowToがないと不安だという感情に引きずられたら、
既知のことしかできない、ということになるし、そこで生産性カイゼンになるわけだ。


「願望を持つとき、その実現手段をすでに知っていないとだめなのか?」
これが根本的な論点なんだろう。
やり方のわかっている目標、まさに「努力目標」=落しどころが生まれてくるのは、
失敗したくないとか、無駄なことはしたくないという無意識の損得勘定・打算が背景にあるはずなんだ。
結果、現状の自分にできることしか掲げない、ということになっている。
「勝算無いことはやりません。」という生き方ですね。
そして、現状の路線、現状の思考回路、現状の燻りがずっと維持されていくことになる。
結局、失敗したくないとか、無駄なことはしたくないという思い自体が、
自分の人生を自分のものではないものにしてしまい、
皮肉にも人生を本質的失敗・無駄なものに変えてしまうのでしょう。
そして、そんな姿勢で、負けを回避したところで、
勝てるわけなど100%無いのだ。


(P)