向こう側に行くには

環境とは一見微弱ですが、誰でも影響されるものであり、
心が豊かであるか、行き詰っているかという状態にもなります。


実は、豊かさとは不動心と同じ神経であり、貴方がプレッシャーに追い込まれたとき、何も影響されない精神状態であるなら、その生理的な基本状況は心の豊かさと同じものなのです。
脳波でいうならばベータ波の上あたりか、ガンマ波の状況下であるはずなのに、自己の生理的な状況が、ベータ波の下からアルファ波にいるという状態です。
ようするに何があろうと落ち着いていて、神経的な視野が広く保て、全ての状況が読め、体が最大限に動くことです。


プレッシャーに対して影響されないという神経は、無意識から沸いて来るからです。


自分ではコントロールできない神経である無意識は、自律神経にも影響され、意識に出てきます。
微弱なものからプレッシャーまで、無意識をコントロールできる有効なものが変性意識なのです。
変性意識とは催眠状態もそうですが、催眠でなくともできます。
催眠とは変性意識を呼ぶ手段の一つなのです。


虎流 心武一体型武道の全て


だれもがパーソナルスペース侵害しあう現代社会では、
日々、特に何も無いときでも、プレッシャーというものはあるよね。
特に何も無いときの微細なプレッシャーでも、精神的に勝手に追い込まれての自滅はありうる。


自滅して、集中力切れて、途中で自分の人生を生きることを止めてしまう。
するとまた、どっかの時点で、ゼロから始めないといけない。
積み重ね、熟練、学習は複利の効果があるといわれるが、
途中で止めてしまうと、その効果を享受する前段階で一番ROI悪いところでの清算となる。


再現性は、熟練の結果得られるもの。
再現性が無いものはすべて「まぐれ」。次の保証なし。自信なし。明日無き我が身。


表面上は似ているが、モノを手に入れることと、再現性を獲得することは別のことで、
実は後者のほうが精神的な満たされ感は強い。
環境の浮き沈みはあれど、ある一定のROIを計算(再現)できること、これが豊かさ=不動心では?


目先の一つ一つの出来事に、一喜一憂せず、感情的にならずに、統計処理的対処をする。
「自分」は、感情の束なのではなく、
一定のロジックでアウトプット処理をする再現性のシステム。
つまり、環境に対して、受動⇒能動への転回。それが進歩だという認識。


このスタンスで、これをやれば、自動的に楽しい、モテる(又は知り合いが殖える)という形で、
日常生活が自動化され、考えなくていい状態。結局、それだと思う。
再現性を手に入れること=計算が立つ自分を手に入れること。


システムになっていったら、もう二度と元のところには帰ってこなくて済むのだ。


と、考えれば単純なようだが、簡単かどうかは別な話だ。
要するに、自分を変化させようということであるが、
これはすごい抵抗が働く予感もある。
人間急激な変化に耐えられるようにはできていない。
自分は変わらないで、いいモノを得たい、というのがどうしても出てきてしまう。


自分は変わらないで、いいモノを得ても、再現性が無いのだが、
自分が変わるというのはいわば現在の自分の否定=死なのだから、当然簡単ではない。
そこまでする動機付けのきっかけがなかったというのも事実なのだ。

ベストアンサーに選ばれた回答


回答日時: 2008/3/21 16:35:11 回答番号: 47,655,040

結局のところ、人間の本質というものは、自分の「意志」でたやすく変容するものではない ということではないでしょうか。


その時の環境や状況に応じて、立ち止まるしかなかったり、変わらざるを得なかったり……
なるようにしかならない ということではないでしょうか。


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1015474095

「精神的に留年する」


いつも同じ問題に突き当たるのであれば
やはり自分を変えていくべきだし
次も変わりばえのしない出来事を引き寄せてしまう。


精神的に留年し続ける、という考え方をしてみたとき
本当にゾッとした。
外見の年齢と違って、精神的成長のなさというのは
気付かなければ気付かないままで終わってしまうこともある。


http://blog.livedoor.jp/m-20_47703/archives/5202426.html

自分の現状に対して「コレしかない」という感情と「コレではダメ」という感情を二重に持っているようです。つまり自分を受け入れているようで、受け入れておらず、否定しているようで、否定していないのですね。これではやはり変われないと思います。


今まで生きてきて自己否定100パーセントはありえません。必ず自分の拠って立つコアがあると思います。自分が変わりたければ、まず自分を肯定的に認めてあげることでしょう。それから自己否定したいポイントを明確にする、これなら変われます。


逆説的ですが、変わるためにはまず自己受容して自分が拠って立つコアを見出すことが必要なのではないでしょうか。自分のなかで「自己受容」する範囲と「自己否定」する範囲が明確になれば変わりうると思います。つまりこれが「割り切り」であると思うのですが、いかがでしょう。


http://72.14.235.104/search?q=cache:N9hnCXYe8MMJ:coach.client.jp/064/+%E5%A4%89%E3%82%8F%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84&hl=ja&ct=clnk&cd=1


ほんとうにやるのなら、小手先での奮闘ではなく、
根本的に「自分は変わらないで、いいモノを得たい」を否定しなくてはならないだろう。*1


それは、今と違う自分になりたい、ではない。
むしろ、自分ではなくなること、を選ぶことである。
自分の中の、端っこの方の一部分だけを変えることで何とかなると思うのは甘いだろう。
自分ではなくなってしまう。二度と帰ってこれないが、行くのかどうか。
そういう全人格レベルでの問いかけを受けているんだと思う。


つまり、「楽したい」という価値観から、違う理想にシフトすること*2
人生の方向性・自分にとっての意味づけを根本的にリフレームすることが求められているのだ。


もしそれを成し遂げたら、確かにそのとき、自分は別人になっているでしょう。
別人のように、ではなく、別人、に。
つまり、向こう側に行っているのでしょう。


【参考書】

リフレーミング―心理的枠組の変換をもたらすもの

リフレーミング―心理的枠組の変換をもたらすもの

新催眠の誘導技法―心理臨床の幅を広げる

新催眠の誘導技法―心理臨床の幅を広げる

俺はまだ本気出してないだけ 1 (IKKI COMICS)

俺はまだ本気出してないだけ 1 (IKKI COMICS)


(P)

*1:そう考えると、自分の現状がいかに矛盾した信念のダブルバインドに絡められているのかが逆に分かる。「楽をしたい」が「覇気を持って生きたい」、「自立したい」が「変わりたくない」、「モテたい」が「好きなことを女子に気づかれたくない」、などなど。そしてこれらの、矛盾を解決するという不可能な課題に長年悪戦苦闘してきたわけだ。これらは、両立しようがないことを両立していないというだけのことで、そもそも課題なのか?自体疑わしい。

*2:思えば、楽したいから、覇気を保つことをやめてしまうのかもしれない。武士道なら、覇気を保つのをやめることは死を意味するのだが。