本当にほしいものは手に入れられない?のか3

さて、よくよく考えてみると。
前述のYは、全身これ表現者
小説も誰に頼まれて書いたわけではない。
ある意味、自分の生を確かめるために書くような感じだった。


重要なことは、アウトプットのためのアウトプットをしているわけではないということ。
成し遂げたいこと、なりたい理想の「あり方」を追求し、
それを現実社会に成立させるために、あらゆる言動をアウトプットし続けている
ということ。
それが、結果として、ハンパなく生産的になっている。
生きることがアウトプットなので、目的化した生産性向上ではなく、
必然としての生産性増大、無限大。
われわれが目指すところの一端がそこにある。


しかし、われわれも、毎週ファミレスで方針を立てているではないか。
山ほどの施策や、戦術を立案しているではないか。


ところが、それを貫徹できていない。
日常のあれこれ、損得や浮き沈みにやられてしまう。
打たれると、すぐ心折れる。


そこで参考になるのが、今月のGQの「ダルビッシュ進化論」だ。

才能に恵まれたダルビッシュは、それゆえ、練習を進んでしなくとも何とかなってきた。
そのため、プロに入って体力不足、貪欲さ不足となる。
そんな課題が、完投数の少なさとして顕著に現れたのだった。
そこに現れ、本人に自覚を即し、体力づくりから始めさせた佐藤義則コーチとの物語たるや。


また、こんな話もある。

やればできるのにやらない人


前頭葉を鍛えるときには、状況に対してより早く判断できる、的確な対応ができるという
テクニックの部分を鍛えるよりも、むしろ、それ以上に重要なこととがある。
それは、脳が指令を出し続けられる体力を高めること。
体力がないと、たまにしかその能力を発揮できない。
前頭葉が体力を失い、指令を出せなくなると、人間を動かすのは、感情形の欲求となる。
そのとき人は、面倒なことはしたくない、楽をしたい、人任せにしたいという、
脳のより原始的な欲求にしたがって動いてしまい、自分を律して主体的に行動するよりも、
感情の要求にしたがってダラダラすごすことになる。

脳が冴える15の習慣 記憶・集中・思考力を高める (生活人新書)

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まさにこれ。平日のどっかで(早い段階で)、体力が切れてるんじゃないの。
そして、ファミレスで仕込んだ作戦はどこかに行ってしまう。
一発食らうと、心折れる。完投勝利できないわけだ。
日常に流されて、考えることを放棄する。
それで、損得とか、人の顔色、評価に寄り添っていこうとする。
で、そのうち、無意識のうちに、忘却してどっかにいってしまう。


だから、貪欲さ、自分の考えていることを貫くための、「タフネス」。
それが、「男のロマン」の根本。
結局、そういう考えになってしまう。
原油を掘るとか、バイクで世界一周したジムロジャーズとか、そういう感じの男の夢。


そこまでいかずとも、やはり脳の体力。
気持ちのテンションを保つこと。忘れないこと。
意識を途切れさせないこと。


と、ここまで来て、長かったがやっとダンスに話がつながる。
ダンスはある時間内で意識を集中し、脳で身体を制御すること。
始めは、ワンエイトも覚えられず、集中力が切れてしまっていた。
それが、いまやスリーエイトを詰め込めるだけの脳になってきている。


その転換点がどこにあるかというと、自分なりには、
言葉(あそこをああして、次にこうして)ではなく、絵で覚えること。
画像として脳にインストールすること。
つまりイメージをつかむことで、集中度が上がる。
言葉を超えた状態で、インストールしたイメージを元に自然に先生の動きを脳がなぞり、
それが体に伝えられて、動くときの感覚。今週はそれを実感した。
わずかな時間だったが、それって、ゾーンに入ったんじゃないかと。
完全に先生の動きのイメージをモデリング*1して動いているわけだ。
自分としての動きを超えた動きをするところに、進歩があり、改善を超えた変容が生まれる。


この新感覚を平日に導入することはできないか?
伊達男のイメージ、加納典明のイメージ、見たことないけどジムロジャーズのイメージ。
あるいは、生産的な表現者のイメージ。
それら「タフガイ」としての動きをモデリングできないだろうか。
そして、それを平日続け、完投し、司令塔としての脳の体力を上げていくことはできないか。
ダンスによる日常生活の革命の第一歩を踏みしめるための、実験をしていきたいと思う。


自分の理想のタフガイの「あり方」のイメージを強固に作り出し、
その「タフガイ」のイメージを元に日常生活のダンスを踊ること
途中で、打たれてもへばらない。諦めない。
そういう「強さ」があれば、最高の女子にもアタックできるかもしれない。
大事なのは、自分がどういう存在になることを求めるかという、理想の「あり方」だ。
それをイメージし、表現することが革命なのだ。
ダンスを通じた人間革命はつづくのである。

もし私が、親兄弟、知識、職業、社会的地位、配偶者のような私の所有しているものからくるのだとして、もし所有しているものを失ったら、そのとき私は何者なのだろう。…「持つこと」によって私が私を規定するとき、私は、おそらく、泥棒を、経済的変動を、革命を、病気を、死を恐れ、愛を、自由を、成長を、変化を、未知のものを恐れ、絶え間なく思い煩らうことになるだろう。…(他方)持っているものを失う危険から生じる心配と不安は「あり方」の様式には存在しない。もし私が、私のあり方からくるところの人物であって、所有しているものからくるところの者でないならば、だれも私の安心感と同一性の感覚を奪ったり脅かすことはできない。私の中心は私の中にあるからだ。…所有は、何か使えば減るものに基づいているが、あり方は実践によって成長するのである。
…(あり方に基づく生の様式の)基本的特徴は能動的であることだが、それは忙しいという外面的能動性の意味ではない。自分の人間的な力を生産的に使用するという、内面的能動性の意味である。能動的な生を送ることとは、自分の能力や才能を、そして程度の差こそあれすべての人間に与えられている豊富な人間的天賦を、表現することを意味する。それは、自分を新たにすること、成長すること、溢れ出ること、愛すること、孤立した自我の牢獄を超越すること、関心を持つこと、与えることを続けていくことを意味する。

生きるということ

生きるということ

【追記】まとめ
(重要なものに○、特に重要なものに◎)
・目指すべきは人としての「あり方」
・方向性は正しいとして、前に進む
・方針を疑ったり、考え直したりする必要はない


○毎日決めたことをやる
・前に進むには積み重ねるしかない
◎進まない日があってもそれで方向性や自分の可能性を疑わないこと
・くじけない、やめない⇒諦めない


○特に、貪欲さのテンションを保つことには気を配ること
・期待に胸を震わせたりすることはいいこと


○ただただ、継続すること
◎それが当たり前になるまで継続し、結果的にそれになってしまうこと
・なることが大事なので、きちんと固着するまでやる
・というか、やるというか、そうなってしまう
○そうなった後、もう今のところに戻ってくることはない


(P)

*1:モデリングとは、ヒトが生きていく上で、最も理想的である仕組みについて、独特のプログラミングを行い、モデル化し、移行することで、他のヒトにも、前者の持っていた、理想的な仕組みを会得できるようにしていく手法