本当にほしいものは手に入れられない?のか

現状がどうにもならないみたいな気になって、
もしも時間が戻ったらなんて考えてみたりするけど。


どこまで時間を戻ろうか。例えば、就職活動?大学受験?
では、戻ったらどうするのだろう。
もう一回繰り返して、今とは違う選択をするとして、
どういう形であれば、現状のどうにもならなさを克服できるのだろう。


仮に、違う企業や大学に入っていたとして、
今とは違うものを見つけられるだろうか。
それとも、またも、適当な落としどころを見つける選択をして、
日々を淡々とすごす道を選ぶのだろうか。
どうも、後者のような気がしてならない。


確かに今までと違ったことをするのは、
基本的にはリスクがあるのだが、
しかし、その場合の基本姿勢が、
落としどころを見つけるとか、や自分で可能と思う範囲の選択になってくると、
そんな再チャレンジが何になるのか。
所詮、違った場所で同じものを見つけることになるのではないか。


物事を選ぶときに、安定、できそうなこと、手の届きそうなこと、金、
有利、勝ち組に入る、うまくいきそう、有望ということだけを基準とする考え方。
これは、客観的にそうだという判断軸で、逆にいえば誰にでも当てはまる基準だ。
誰にとっても、同じ。
そういう選択基準で物を選んでおいて、後になって、
誰がやっても同じような仕事だ、とかなんとかの文句を言ったりする。


自分なりのモチベーション、思い入れが希薄である。
社会に、まず仕事というものがあって、誰かがやることになっていて、
俺がやらなくても誰かがやるけど、俺がこなしている。
日々、それなりに全力で走っている。走れなくなるまでは、こなす。
走れなくなってきたら、競走馬のように、抹消される。
こういうイメージ。


こういう思考回路は本当に自滅的で、無力で、悲しいわけです。
自分というものがどこにもいない。
交換可能な労働力の一単位=数値としてしか存在していない。


ここから脱するためには、根本的な、選択の段階での姿勢を変えていくことしかない。
簡単に言えば、物事を選ぶときの基準を、
誰にでも当てはまるものではない基準にするということだ。
時には、不利も、金も、できるかできないかも超越した判断をするということ。
それでも選びたいものを選ぶこと。


ロジックではそういう結論になるし、
世間ではそれが当たり前なのかもしれない。
しかし、そんなに簡単なことではないと感じる。
そんなこと、これまでまったく考えたこともなかったからだ。


それがほしいとか、やりたいとかで、それを選ぶのではなく、
うまくこなせそうとか、自分でもできそうなことばかり選ぶんできたからだ。
結果がうまくいくかどうかを、自分が好きか嫌いかよりも優先してきたんだ。
がんばれば、結果なんて同にでもなる、そんなこと、考えたこともなかった。
選択の時点で、社会的通念としての結果が選択肢に付随していた。


そして、そこには、おそらく、無意識の信念がある。
つまり、
「本当にほしいものは手に入れられない」
「一番ほしいものではなく、うまくいきそうなものを選ばないと恥をかく」

という「諦念の信念」が。


で、我慢して、より有利なことをやろうとする癖。
代償行為として、せこく金を貯めたり、有利に物事を運ぼうとしたり。
一番ほしいわけではないけど、それより客観的な評価を得られるようにと。
他方で、一番ほしいものを、考えないようにするという癖。


ここにおいて、我々はリスクヘッジ批判に続き、
代償行為批判を開始しなくてはならないと思われる。
先日のキャスのエントリの言葉を借りる。

現時点で困難だからといって、黙って選択肢から外すのはやめたい。
黙ってあきらめて、見なかったこと、なかったことにしている夢や理想、
を埋もれている無意識から定期的に引きずりだしてやって、検討していく。


本当に不思議なぐらい。自分の憧れやほしい物を諦め、諦めたことも忘れている。
愕然とする。癖がついている。信念の魔術である。


一方、それに対するカウンターの一案として、フミト氏はこう言っている。

(長年のナンパ経験から到達した最高の方法は?という問題に対し)


それはズバリ!最高にイイ女に近づいて、
いきなり誘うことです。これぞナンパデビュー!


「抱きたい」とまで、言ってもいいかもしれません。


だって、それでうまくいかないと誰が断言できます?


まず最初は、このダイレクトな方法をお勧めします。
それを繰り返してダメだったら、そこで初めて、
少しずつ慣らしていくのを考えてみてください。


とにかく、最近思うのは、シンプルなことです。


本当は、努力なんて、いらないのではないか?


欲しいものは、何も考えずに、最短距離で
近づいていって、つかんでくればいいのでは?


少しずつ慣らすなんて、遠回りではないのか?


たんに、洗脳されているだけではないのか?


まぁ、そういう根本的なことです。

「タダでナンパした!」より


これは極端だ。しかし、正論だ。
そもそもの目的は、本丸を攻めることのはずなんだし、
もっといえば、何が本丸なのか?が明確になっていないのに進めるわけがない。


それをしないで、いつまでたっても「どうやったらよりうまく攻められるか」
みたいなことにずっと執心している。


つまり、プロセス改善の繰り返しは、
実は人を現状(の地続き)に安住させる効果があるのだ。
安住とは何かというと、我々の現状においては、「諦念」の温存に他ならない。
いつも、なんかもっとうまい方法はないか、探している。
これは手段のレベルの話をすることで、
目的に対する無意識の抑圧から目をそらすための罠だ。


(軽くうなぎ買いに行くので、つづきはそのうち)


(P)