無気力とのたたかいの記録

好奇心が強く、学習意欲が前向きのときでないと、
ただ実利を求めて勉強や仕事を開始しても苦痛なだけだったということを繰り返す。
やりたくないと感じているのに、やれるわけないだろ。


なにもしたくないときにだって、やらなくてはいけない責任や義務があって、
一番の問題は何もしたくなさ自体、そういう無気力感自体なのだが、
それは根本的過ぎるためどうにもならず、結果、勉強や仕事等が苦痛だと思うようになる。
社会や他人に対する敵意が満ち満ちているようだが、大半はここの苦痛に起因している。


無気力なときは、周りのものに興味なくなる。
これをやったところで、何にもならないと思う。
実利があるのはわかるのだが、感情的についていけない。
宙に浮いたようになる。
能動的・自発的なエネルギーが出ない。
自分が弱っているというか、無意識が傷ついているのかもしれない。


どうしていいのかわからない状態。で、投げやり。
これは自分を見失っている、あるいは自分で自分を見捨てて、それを忘却している状態。
無気力は、おそらく、そのことの悲しみの表現であり、
寄る辺ない中でさらに義務感を感じているために、
困惑を感情的な形にしていると考えることが出来る。
そこで、投げやりになると、ますます見失い加減が昂進する。


だから、事は単純ではないと思うが、実は単純。ああ単純単純。
結局、実利(たとえば金、権力、モテ等)以上に、
あるいはそれ以前に追い求める必要のあるもの(たとえば幸福感、自信)がある。
それに気づいている。


しかし、実利の獲得を通じて、その追い求めるべきものに至ろうとしている。
というか、それ以外の方法がわからないのだから仕方ない。
(たとえば、金があれば幸せになれる、彼女がいれば自信が持てる等)


ここに、不可能性がある。
実利の追求は、実利以前のものがないとできるわけないだろ。
そのため、憎悪や悪意、敵対心に満ち満ち、最終的に無気力化する。


この状況を時間術や勉強法といった生産性向上策で乗り切ることはできない。
無気力な人に対し、生産性向上を話しても生産的ではない。
実利的なもののインセンティブは効かないから、
こういう状態だと他人と話せば話すほどフラストレーションが増すので注意しろ。(顕著な
それよりも、まず、自分がどれだけの恐怖を抱え、悲しみを感じているのか、
それを本気で検証したほうがいい。


結局、問題は自分の自分に対する、(再帰的な)関係性ということになる。
これにダンスによる脳内麻薬放出という物理的なアプローチで対処することの記録。
それがこのブログだ、と総括*1


(P)

*1:結論なし。暇だから書いた節がありありかも、カモーン。