ウイークエンドが増殖する

ウイークデーとウイークエンドの間にある薄い皮膜。
どうやったら、ウイークエンドを拡大し、毎日がエブリデイになるのだろう。
そんな難問に、暫定的な、しかし、重大な一歩が刻まれましたのでお知らせいたします。


答えは案外簡単なこと。
両者の狭間にある「フライデーナイト」からウイークエンドをはじめること。
見つけたわけだ。フライデーナイトをウイークエンド*1に変えるドープを。金曜日のシンデレラを。


金曜日の朝、アディダスの上下のセットアップと、
SPXのスニーカーを持って会社に。
8時をめどに全力で今週の仕事を手仕舞いし、その足でスタジオへ急ぐ。


つまり、金曜日の朝から自分の中で週末が始まる。
会社にいても、そこはステップインザアリーナ。


いや、よく考えれば、浮かれモードは木曜日の夜からかもしれない。
週7日のうち、3日半浮かれてるとしたら、勝負はもう50:50まで来ていることになる。


スタジオでは先生が天才的な動きをする。日本人を超えている。
引き込まれるうちに、平日の臨場感は後退する。
世知辛さは、ファンキーセンセーションに飲み込まれる。
必死についていこうとする。難しいけど、何とかできるようになってきた。
必死にやる⇒楽しい。


これで、金曜日と土曜日両方に、足場ができた。
そして、重要なことは、現実ではしばしば、1+1が実は2以上になるということ。
日ハムはローテーションにダルビッシュしかいないから、日本シリーズで負けた。
しかし、そこに、もう一枚加わったらどうか。*2
ポートフォリオ効果が生まれる。安定感が違う。
金曜の夜の復習を土曜日のレッスン前にすることだってできる。
足場が2つあれば、両足で立てる。放っといても圧勝だ。
俺たちは不意に気づく。新しいステージに入ったんだと。


そして、新しいステージのテーマは、
ダンスを通じて得た気づきや知恵*3を平日の生活に還流し、
ウイークデー自体を変容させていくことに他ならない。
人生は続く。青春もまたつづくのだ。


(P)

*1:俺たちにとってのウイークエンドというのは、脳内麻薬的の放出によって浮ついた気持ちになり、瞳孔全開アナザーワールド、お肌ツルツル状態にロックインすることを指す。

*2:イメージは昔の広島。北別府と大野。

*3:反復練習の尊さ、自己表現の重要性、他者=仲間との分かち合いの経験の貴重さ等々、多くのポイントがあるが、中でも特に最近2人で議論しはっきりしてきたこととして、物事を必死で一生懸命やらないことのデメリットがある。以前も書いた通り、そこそこの頑張りでそこそこの結果を出すことが、俺の半生だったが、これはまあそこそこで困ることはないし、負けてもそんなに悔しくないという部分で、大きなリスクヘッジ効果を有しているものの、逆に言えばヘッジの機能以外何も無いという事への気づき。頑張らないでモテる方法を何回ジョナサンで議論しただろう。しかし、モテたいなら、正面から頑張ればいいのではないか、というかそれの何がいけないのかということで議論が終了してしまった。そして、そこで明らかになったのは、一生懸命やらないことのデメリット、即ち全力で物事をやらない癖がつき、自分を律することができなくなるという、取り返しの付かない悪影響だった。つまり、一生懸命やらないと人間性が傷つく。結局この癖は暗黙の逃避的弱腰であり、では何で逃避するかと言うと、自分が負けるかもしれない不確実性の不安に向き合う精神力の養成を怠り続けるからである。気持ちの弱さを放置し、それが放置されることで増殖し、自分自身が勝負一般に対して清清しい気持ちはおろか、勝負に向き合う気概すらない弱い人間だという自己評価を定着してしまうデメリット。つまり、自尊心を失っていいのかという問題なんだ。それに比べたら、他人に一時的に負けることなど、本当に暫定的なものなのだ。自分に対するレッテルは無意識にこびりつき、生涯の呪いとなるのだから。