腰にキタ

ドンだけ小さい達成になろうと、アウトプットをすることが大事ね。
結局、アウトプットのためという意識にならないと、
自分の中に一回蓄積する必要が出てこないから。
で、そこに気持ち乗せて、自分を表現する気にならないと、
主体性も生きている実感も出てこないね。


そうカッコよくはいかないから、中途半端な一夜漬けみたいになるとしても、
少なくとも一回自分の中に取り込んで、それを出力することは、
単に上ッ面をなぞることとは決定的に違うと思う。


それ相応のメモリーとなる器が自分の中にある必要があって、
いわば蓄積するための倉庫。
そういう器にどんだけ引き出しつけて、いざというときに出せるようにしとくのかという。


そんな風に、考えたことなかったからね。
いつも、目先乗り越えれればそれでよかった。周りに急かされ過ぎた。
何の蓄積もないという。
いい年して、趣味:テレビ観賞、特技:本が早く読めます。的なインプット偏重。
いったいどこの対人恐怖ですかと。


いざというとき、に備えないと、いざというときはこないわけで。
何も蓄積がない場合、いざというときなのかもわからない傍観者。
そういう意識の場合、メモリーの器に穴が開いてるような感じ。
いっぱい詰め込んでることは詰め込んでても、全く身になっていないのは、
目的意識がないし、外に見せられる形にもなっていない結局自分でも整理できてないわけで、
それはあまり価値のあるものではないっすね。
月並みな言い方となるが、自分なりの完成形のイメージを持たずに、物事に取り組むなということ。
自分なりのアウトプットが念頭にないから、受身にならざるをえない。


いや蓄積はないが、器は大きいんだ。大器だ、という説もある。
大器だとおもって、安心してた。
しかし、穴の開いた大器より、使い古しの小鉢のほうが確実に蓄積ができる。
だから、漫然とやるんじゃなくて、どういうアウトプットになるのか考えて、
取り組めと重々言われているし、言ったりもしている。


そんな反省の元、キャスと今年最後のレッスンに行ったさ。
HipHopのリズム取り、かなりスパルタン系で30分ぐらいやるのだけど、
先週のように足が攣ることはなかったが、
翌日(クリスマス・イブ)起きてびっくり、ギックリ腰寸前。
でも、それは勲章ではないのか、と問いかけたいところだ。


メリークリスマス。


(P)