今年というかこれまで

  • 今年を振り返ることができるのか

目標らしきものあるのかないのか、それに対する執着心がない、
というかモニターしていないため、よかったのか悪かったのか不明。
どこまできたのかわからない。
どこから来たのかもわからないのだが。
これは獣の生活、啓蒙主義以前。


物事を成すというのは、結構小さな改善を繰り返し、
課題を乗り越えていくことの延長に過ぎないようだ。
改善によって成功確率を上げていくというイメージ。
改善、確率を上げるためには、今更だがPDCAしかないわけで。
毎日計画(Plan)し、それを実行(Do)し、評価(Check)し、そして明日のためによりよい行動(Action)を起こす。
「よりよい」というのがポイントで、
昨日より今日が少しでも良くなる予感がなければ希望なんか持てるはずがない。

  • 大事なのは、「何を思っているか」「何を感じているか」ではなく「何をしているか」なのです

ダンスというのが我々のキーワード、ライフワークである理由もそこで、
頭で考えたことや口で話すことでついつい何とかやってきてしまった人間が、
それでも潜在的に感じていた「体がさっぱり動かない」という致命的弱点を顕在化した。


頭で考えているつもりでも、結局過去との一貫性があるかというと、疑問。
毎日会社に行っているだけ。
いつもその場凌ぎ、感情に流される。これは典型的な負けパターンであるという。
それ、俺も考えてたんですよ、とか言ってる場合か。(さすがに言わないけど)


で、それがダンスだと一目瞭然。
まったく出来てない。正しく出来てない。
重要なのは、正しくない=美しくないという、動かしがたい事実のほうなのだけど。

  • その他

あと、今年もゴルフを始めなかったのは、
その魅力を感じることができなかった。
これはアンテナの問題であろう。
高いのか低いのか、高すぎて低いのか。
惑わされなかったといっていいのかどうか。

  • 記憶に残る以前に、せめて記録に残りたい

たとえば、運動会などで大きな失敗をした子供に対して、親は、どんな対応をするでしょうか。
理想的な親なら、失敗の原因について、落ち着いていろいろと話し合うでしょう。さらに、失敗を今後に生かすような思考方法を教えることでしょう。
このような親の対応があれば、子供は自分の失敗という事実を正面から受けいれることができます。そして、心の傷が癒され、失敗を教訓として、大きく成長できるはずです。
ところが、甘やかすタイプの親は、失敗して落ち込んでいる子供に対して、失敗という事実を忘れさせるような対応をします。
子供が喜びそうなおもちゃを買ってあげたり、どこかへつれて行ったりして、子供の気をそらしてしまうのです。
失敗して傷ついた心は、そのまま奥の方へに押し込まれることになります。「抑圧」ですね。
このように、甘やかされて育った子供には、癒されないまま残った心の傷がたくさんあると考えられます。
つまり、甘やかされて育った子供は、傷ついたことがないのではなく、心の中に癒されない傷が大量にあるというわけです。
http://yukitachi.cool.ne.jp/column/c009amayaka.html

いろいろとその場凌ぎで、自分を慰める=甘やかすのは、
打ちひしがれないように目先を逸らすという効果も有るかも知れんが、
かえって癒されない傷が増えるとしたら、とんでもないことだ。


そういう意味では、将来に向けた努力目標と、
そのモニターぐらいのことは来年はやるつもりで、
その点、背景として、人生は一度きりなので、
一度ぐらいやってみたいことがあるはず。
それを目標にすればいい。


自分で自分を見守らない限り、だれも見守ることはない。
結論:記憶に残る以前に、せめて記録に残りたい、そんな逆コース。


最後に唐突ながら今年の俺を象徴する曲とともにお別れです。
好きすぎて バカみたい


(P)