劇薬!、されど効果なし

自分で「こうしたい」と思って、
切り開いていく生き方が好きなのか、どうか。これ重要。
結果オーライみたいなことを言ってたり、
思ったりした節が有るんだったら、その時点で厳しい。


人は自分の好きなことしかできない。
これを表層的に解釈すると、
好きなこと、夢に向かってやりたいことをやる、ってすぐできそうな気になる。


しかしね、やる内容はさておき(それが勉強でも、音楽でも、出会い系でも)、
それを自分の決断で、自分の責任で、自分のリスクで始めて、
自分の納得するまでやりとおす、
という覚悟を持った生き方が自分のものになっているのか?
そういう生き方、進め方が好きなのかどうか、
そういうやり方を潜在意識レベルで受け入れているのか?
それを忘れている。


自分で考えて、生きていくパターンに慣れていない。
プロセスよりも、結果を見てしまう。
どうやるか、を抜きにして、お金持ちになった人がいるのだろうか。
で、「しかたない。アフェリエイトでもやるか」、となる。
「人のやり方を参考にしながら。」
そんなものやりたいわけではないのに。
これは単に自立していないという例。


現実に対する姿勢、
現状のこの現実をどのぐらい変化させるつもりか?のスタンスがあるはずで。
その後に、スタンスから導かれる行動があるはずで。
小泉純一郎は、あの激しい性格があって、
スタンスがあって、で、構造改革なんだよな。
現状が不満というだけで、その実現状維持スタンスの人間が、
急になにかを始めようとしても無理無理だ。


結果オーライで、ひどい目にあわないですんできた。
結果オーライで、何とかなった。
しかしそれは、まったく主体性のない、
自分を取り巻く境遇が主語になる話だ。
その状態でも、オーライとしてしまっているのはなぜ?
プロセスを見ない癖。
プロセスがしっかりしていないで、結果はあるのか?


レールを走ろうとする気持ちで、成功したいと言っている。
自分が乗っているレールが、
オーライな境遇に通じていればそれでいいのにと思っている。
オーライな境遇って何かも具体的にはよくわかんない。
でも、そういう方向に行きたい気持ちは強い。

「こんな業界に参入を考えているんですが、有望でしょうか?」
そういう質問をしてくる人は、有望な業界があるという前提に立っています。
そこに参入すれば儲かるのではないか、儲かるはずだ、という前提でものを考えているのです。でも、儲かる保証なんてあるはずがないんです。
有望産業、成長産業で起業すればうまくいくのであれば、誰だって苦労しません。
すなわち、「どんな業界が儲かるか?」ではなく、「自分の参入する業界で設けるには、何をどうすればいいのか?」を考えるようにしないといけません。


なんか、こう、思考停止を求めている節があると思えてならない。
不断に不確定、不明瞭な有象無象の課題が生起したりする状況を、
どう歩いていくか、そういうことを考えるよりも、
問題のない状態になれるレールに乗ることを、
本心、潜在意識レベルでの成功とみなしているのではないか。


けれども、レールを走れる人は無数にいる。
希少価値はないから、人並みでしかない。
そうなると、急激に道なき道を切り開くことが大事と思うのだが、
結局そういう不安なやりかたに親和できないまま、
ただ成功したいと言っている。成功の定義もないままに。


責任をもつことが好きではないとしたら、
これはとんでもないことである。
結局。すきでもないことをやれるはずがないのだ。


(P)