あえて目を閉じる

本日のソウルダンスレッスンは、
夏だけに、選曲にMURO Diggin' Iceを意識したためか、
"Mr.Telephoneman"が入っていたのもさることながら、
レッスンの教育的効果が特筆すべき内容であった。


通常、ダンスは前だけを向いて行うため、前列の人の振りを見ることができる。
だから、振りを覚えてなくても、適当に合わせてやることもできる。
これは、自力をつけるという本来のレッスンの目的とは相容れない結果になる。


そんな業界に一石を投じる、先生の
「周り見て、流れに乗ってやってるだけじゃ、本当の実力ではない」との、
真っ当すぎる哲学から、途中360℃回転しながらの振り付けの16小節の旅の始まり。


回りながら踊るとなると、カンニングは許されない。
そして、普段前に立ってる先生の見よう見まねで、
やった気になってるやつは、自力では振りを続けられない始末。
本当の実力なんて、そうやって周りを見せないようにしたらすぐわかってしまうのだ。


これは相当大事なこと。
群れにいると、なんかやってる気になりがち。
本当に自力でやれてるのか?は問われない。
で、何でもかんでも、周りを見てビクビクしながら取り組んで、
いわれたことだけやって、それが何になるというのか。


サッカーで言えば、ゲームメイクをする司令塔になれているのか?
ただ、なんとなく相手ゴール前に走りこんでるだけじゃないのか?


日々の生活の中でも、そういう気の緩みが蔓延しがちである。
どこまで、起点となっているか。これが問われるべきだ。


仕事においても、もし、提案書を書けといわれてから書いてるとしたら、
それは半ばカンニングであって、本当の意味では提案ではないと思う。
クラブ愛本店の便所に貼られている格言が言っているように、
「言われたことをやってる奴は二流」なのだ。


こういう重要なことを、体でわからせてくれるのがダンス教室。
頭が良くなるためには、体を動かす必要があるんだと再度実感。


参考:http://www.popping.net/poplecture.html
(パイン)