celebの地平 − どこから来て、どこへ行くものか

celebの条件とは何か?一言で言えば、それはvanityなのです。USのcelebを扱ったmajorなmagazineにVanity Fairというtitleのmagがあるという事実からも、今回の書き出しは信憑性高い。というよりも、識者からして見れば「celebが必ずvanityを包含する」という見解は既出も既出、俺はas you knowという文脈で語るべきであったかもしれない。

とにかくparis然り、J.LO然り、PDIDDY然りでcelebというcelebは皆vanityというベクトルでマスコミに叩かれること1度や2度ではないのだ。ここで日本を振り返ると、いかに日本のshowbizが夢がないかということに落胆せざるを得ない。vanity報道で記憶に残るものと言えば、バブルが弾ける前の千昌夫やさんま位のモノだろう。

成功した者は今度はvanityにその類稀なpassionを傾け、その大きな消費活動により地域の経済活動が活性化され、富の再分配が起こる。再分配により新しく成功したものが再びvanityにより消費を起こし−。こんなことは、小学校の社会の授業で習う。今のような状態でどうやってstreet kids達に夢を夢で終らせるなと語り継げるだろうか。

そういう意味で日本のHilton Familyと言っても全く言い過ぎでない西武グループ総帥であるところの堤家、一連の都落ち報道には数少ないglobalなLvで通用する日本人celebが、また一人消えたかと落涙を禁じえないのである(文責:MCキャステラ