ハートに火をつけて

今日のレッスンでは、先生がちょっと鞘を抜いたため、相当フルボッコにされた。
それはもう、最近無いぐらいのブザマさ。
気持ちいいぐらいにブザマ。


帰り道は当然ジョナサンでドリンクバー。
ブルペンでは調子良かったんだけどな」という俺に、
キャステラが真顔で口を開く。
「周りの雰囲気を壊してしまった。クラスメート*1に申し訳ない」
「こんなことじゃ、この先生のクラスにいられなくなるぜ」


自分たちの至らない部分を明確に口に出すこと、なかなかできないこと。
それを語り合える相手がいることはうれしいことだ。
「もう一回、ちゃんと練習しよう」
「そうだな」
「もう来週金曜日は、リベンジをはじめよう」
「金曜はこれから皆勤で、金曜メインで」


実は、俺さっきまで、一丁あがった気になっていた。
ダンスは3年そこそこやったし、こんなもんだろうと。
単に自分がコンフォートゾーンから出ようとしないことの言い逃れなのだが。
これ以上の努力をする必然性も無い。後何年かやって引退する気でいた。


そういう気持ちが将来への意欲を一層削減し、
ますます将来の展望がなくなっていく負のスパイラル。
明日もどうせ同じだろう、そんな予感にますます絶望し、
諦めてしまう結果、結局昨日と今日が同じになってしまう。
それで、もう日々がつまんなくて嫌になってた。
ジムも行かないので、メタボリックになった。
たまに、完全に感動の無い日常に嫌気が差すと、
仲良しコンサートのPVを見て、
女子高生に対する仄かな感情を呼び起こしたりして食いつないだ。*2


それが、きょうは悔しい。俄然悔しくてたまらない。
「悔しいな」
「何で悔しいんだろう」
自分たちの内側から溢れて来る素直で強い感情が新鮮で、むしろ戸惑う。


悔しいからもっと練習しよう、もっとうまくなりたいからやろう。
自分の内発的な動機付けで行動するという事態。
「こんなことってあるんだな。不思議だな」
すごい力をもらった。*3


感情を殺さないこと*4。安易に諦めないことがいかに大事か。
諦めて絶望したら、もう人生にこれ以上の展開が無いということ、
生きている意味が無いということだ。
そんなことも、またダンスの勉強なんだ。


「具体的に何が出来ていないんだろう」
「速い曲についていけて無いんだ、今日はたったのフォー・エイトだぜ」
課題が明確になる。元気になる。
青春はいつも前を向いてる。
「速いHipHopのMixTape買いに行こう」
「明日、マンハッタン、その後たくまステーキ屋)」
それはダンスを始めた頃のダンス後のお決まりのコース。
これは、偶然にも、あの日に還るということではないか?


憧れとか、くやしさとか、なんでもいいんだ。
感情に基づいて動くことが未来を開く。
それが生きているということだろ。
だから、ハートに火をつけて、走るんだ。どこまでも。


今日はありがとうございました。

ダンスで気にするところは?


清水 家で何百回も練習して身体に憶え込ませる
矢島 手を抜かないで楽しむ               ←←←
田中 おとなしくならないようにガムシャラに踊る
高橋 次の動きを予想されないようにする、揃ってたいところはメンバーを呼んで練習する


http://www.machineworks.co.uk/whg/2008/08/post_5608.html


(P)

*1:今日は銀閣さんのとびっきりのBonusTrackもあった。スタジオに熱い思いが溢れすぎていた。

*2:結局、楽しようとするから行き詰まるのだ。向上心をどこかに置いてきた結果として、楽しようとするだけになるのだと思うが、それの行き着く沙紀には諦め、無感動、絶望が待っている。これは俺にとっては真実味の高い法則だ。今後重々注意したいと思う。あと、女子高生とか青春映画に惹かれるのは、感情的な死を回避するあがきなのだろうと思う。オニギリが絶叫し、全てを出し切るとき、それは性欲からというより、感情の揺らぎ、生きている実感を取り返す営みなのだろう。

*3:これは、松浦亜弥が、コンサートの応援で激しく力を出し切るオタたちに、「そのパワーを学校や会社で使ったら、凄いことになるよ」と喝破した名言にも通じる。感情のエネルギーを味方に付けることの重要性を、そのように表現するあやや。この動画の6:30以降注目⇒このライブの最初から最後まで見るとあややのスキルの凄さがとても勉強になる。たとえば

*4:感情を持たず、冷静で、全てを客観的=他人事として、さめた目線で損得を伺い、簡単にはできないめんどくさいことは諦める、それが生きる術になっている。何事にも、当事者意識が無い。相手の出方や、損得ばかりに一喜一憂していて、自分の感情は出さないので、ガードが固く実質的に対外的に心を閉ざしている。うまくいかないことがあると、自分を守るために、悔しさとかの感情を押し殺し、ふてくされ気味に諦める。本質的な向上心が無く、とりあえず目先の事象を通過できればいいと思う。帳尻合わせて、他人にばれなければ良いという態度。そんな姿勢をこじらせて随分経った。醒めた状態が長いと、いざというときも動けなくなる。自分を信用できなくなる。「COOLな態度はPROTECTION」だけど、「熱い気持ち心に」無くちゃ元も子もない唯のゾンビだ。