最近腹が立ったことを大公開!

テレビでボクシングや映画を見て、感動したりしている。
他人のことであるのだが、いや、
他人のことであるがゆえになのかもしれない。


昔から、自分の人生については、感動していないのは、
自分のことだから素直になれないという部分がある。
例えば、自分が何かを成し遂げても、
「これは、できて当たり前。ほかの事は何もできてない」
「もっとさらにやらないと完璧じゃないね」
とか考えてしまう。
ボクシングのチャンピオンの感動的な勝利を見て、俺は同じことを思うだろうか?


例えば、他人の賞賛の言葉。人が言われていると、よかったね、とか
いいなあ、ああいう風になれるようにがんばろうと思ったりするよ。
しかし、自分が賞賛されても、
「そんなことないっすよ」
「買いかぶらないでください」
あるいは、内心「こいつ本気で言ってるのか?」疑心暗鬼。
自分のこととなると、まったく認識の枠組みが歪む。


つまり、幼少期から映画に感動できて、自分の人生に感動できないということが、
おかしいということに気づかないといけないはずだった。
また、物心付いたときから、他人の他人に対する言葉と、自分に対する言葉が同じでも、
違う解釈をしてしまうことが、
おかしいということに気づかないといけないはずだった。


歪みが、厳然と存在していること。
なにか、フィルターが、色眼鏡が、不純なものが混入している。
そしてこれは、酷い毒素で、日々味わうことのできるあらゆる感動や感謝を、
無に帰し、憤怒と悲哀と憎悪、悪意、嫉妬、猜疑心を増殖させている。


感謝と感動の無い人生は早晩行き詰るだろう。
そのことが分かりすぎるほど分かっている。
どこに行って、何をしても、だめだ。行き詰る。
俺はそのことに苛まれて、怒っている。


(P)