この徒労のカラクリたる所以

リスクヘッジをせずに、一番欲しいものを狙って突っ走りたい。
幾度と無く言ってきたのだが、行動ができないことできないこと。
自分個人として、行動がうまくいって、一番欲しいものを手に入れることを信じられない。
達成する自信が無いし、とても現実がそれを受け入れないと思っている。


そして、いつしかまたもやリスクヘッジに走る、学歴・一流企業等の公的社会的保証に走る。
とにかく保証、保証、リスクヘッジを求めるのにはわけがある。
しかし、それはやりたいこと、ではないし、本当に必要なものでもない。
このときの解決は、恐怖心の解消であるから、
学歴や企業に一時的に守られている依存状態でも、
それが通用しない世界では解決にならないともいえる。
それを「心が弱い」と表現している。


本当は、自力でサバイブできる自信や、
裸ひとつでも世間様に受け入れられるというマインドがあったら、
そういう制度保証的肩書ではなく、
自分の裁量で人生を選択できたかもしれない、
という疑念=「自分の人生生きてない感」が拭い去れない。


「保証の上でないとできません」と言うのは、所詮恐怖心の表れであるが、
ある信念の表明でもある、
それは「自分は独力では生きていけない」、
「自分が受け入れられることは無い」という恐怖である。


そこで、一番必要なものは、恐怖の無い安心感、受容感だろう。
そしてそれは、リスクヘッジによっては得られない。
職業は自分自身ではないから、辞めることもありうる以上、自分自身の気持ちとは違う。


「自分は、受け入れられる」「自分の考えで現実が変わる」という信念が必要なのだ。
それが無くて、それで、何か金とか物とかを手に入れれば、受け入れられるのではないか、
という考えから、少しでも安心感を得るために金とかを追いかけるのだが、
金を手に入れても恐怖心の処方にはならない。
金持ってても、恐怖があったら、行動はできないから同じこと。


つまり、金が欲しいわけでも、名声が欲しいわけでもなく、見捨てられ恐怖が問題なのだ。
心の持ち方が直らないと、そのモノを手に入れることは、何の解決にもならない。
結果、実際に現実で動ける水準が異様に期待値を下回り、
納得のいかない感覚、理不尽な不幸を味わっている気になり、
リスクヘッジをやめようと叫ぶ。


【悪循環の構造(抄)】
何かしたいのだが、潜在的にどうせ受け入れられないと思ってもいる
⇒失敗する恐怖から、物事に当事者意識を持った行動を取れない(半身・受身)
⇒結果が出ない
⇒意志が弱く、失敗を前向きに受け入れられない(被害者・人のせい)
⇒すぐに次の行動に移れない
⇒行動しない状況の固着化、失敗恐怖の亢進
⇒いい加減自己嫌悪になり、リスクヘッジ批判をする


これは、結局自分を責めているだけで、余計に自己評価を下げるサイクルである。
物事に対して消極的になるのも無理は無い。
やったらやった分だけ、自尊心が傷つき、徒労感が残るような負のパターンができている。
そして、行動への恐怖が一層深まるのである。
ナポレオンヒルの言うとおり、思考は現実化するということだ。


その結果、自分の頭の中にある理想や美学、価値観を外の世界に表す、
という能動的な生の営みを忘れ、
自分の頭の中の表現行動をしないどころか、
いつしか頭の中に理想や美学を持つことすら「ムダなこと」としてやめてしまう。
行き詰った状況、生産的でない状況。
現状は嫌だが、自分発信で「こうしたい」というものはない。
「こうしたい」があると、失敗する恐怖が生まれるから。
希望がないところに、絶望もない、という奴隷の知恵である。
そうやって自分の人生を捨ててしまった結果、
四六時中ここは自分の生きる場所では無いという寄る辺無さに苛まれることになった也。


(P)