メモ1

平日のすごし方に悩んでおります。
好き勝手に生きるわけにもいかず、
何が自分の利益になるのかわからない。
高揚するのが、休日だけという典型的負けパターンです。
平日における課題がなにか考えてみました。

  • 目的の方向性の設計がだめ

人生設計というワードで検索したら、
設計用の作業シートがいっぱいダウンロードできる。
作業では、価値観の優先順位付けと、それぞれへの時間配分をすることになる。
択一なのだ。あれもこれもは禁止。
しかし、優先順位ってどうやってつけるのでしょう。
そもそも自分の理念<ある物事についての、こうあるべきだという根本の考え>
をよくわかってないから、平均的な配分になる。
自分の利益が大きくなる可能性は、どれを優先しても一緒な気がするし。
わからんだろ、そんなことは。
そうなると選択と集中できず、なんとなく薄く広くの人生のまま。
大事なのは特化であり、深さなのだが、その掛け声と、
実際に何かを選択し、責任を負うことができることは異なる。

  • 目的のための行動をやりとげられない

目的のために手段を選ばない、という言い方はかっこいいが、
育ちがいいからか、生命力が弱く貪欲でないからか、手段を選んでしまう。
汚れ仕事や、お茶汲みなんてしたくない。
そういうのが必要な局面でも、大局観をもってやるというのがキビシイ。
そのあたりも、自分基準で、やだから、やめようかなという感じで、
結局何も達成せず、何の変化も起きないという状態。
楽するのも自分の短期的な利益だし。
そのうち目的もどうでもよくなる。


周りにいる貪欲な人を観察していると、その辺の執着心がすごい。
とにかく手段を選ばず、目の前のこと、できること全部もってこうとする。
これが勝ちパターンなのであろう。
そうしないと現実なんて動かないのだろう。
また、現実を動かせる者だけがリーダーとしてイニシアチブを取るのだろう。
一方、こうすれば勝てるというのがない者は、この壁を越えられない。
いつも、同じこと。
執着がなければ、現実は基本的には動かない。


理念が漠然とあるものの、
そのための行動が自分に向いていないという感じもある。
美容師になりたいが、刃物は苦手、手先が不器用とか。
朝早いのを苦に退職とか。
その作業はやだというところで、萎える。
目的もどうでもよくなる。
好きでかつ、それをやる資格、執着心があるものでないといけない。
そうでないと、大きな変化は起こせない。
変化を起こせない場合、何度でも繰り返される問題にうんざり。
いつも、同じようなところで回る。


そして過去の記憶が自分を創る以上、
過去だめだった人は、新しい局面で動けるようにはならないんじゃないか。
ポジティブシンキングの心がけは、表面的なもんであって、芯には届かない。


結局、成功する人は自己評価が高く、それゆえ、なんにでもチャレンジし、また成功する。
だめなやつは、どんどんだめになるという事実に戻る。
この壁を越えるために、設計や行動計画を綿密にしていくためにもっと考えたり、
行動を確実に遂行するために、もっと気合を入れるというような方向性でいいのだろうか。
そのアプローチがまずおかしいんじゃないのかという疑念。


時間の経過とともに、迷いが生じたとしても、それはそれとするしかないのではないか。
とりあえず、達成や遂行を重視し、自己評価を上げることを考える。
何事も納得済みでやれないこともあるが、
そういうあいまいさに耐えられないのが、課題の中心かも。
貪欲なやつは、精神面で強いから、とりあえず行動してさらに強くなる。
あいまいがいやでも、現実は自分のためにあるわけではないので、
結局いろんな意思決定の場面で、消去法での選択をするようになって、
ますます深みにはまる。


自己評価が高ければ、なんか達成して、利益を得る可能性が出てくる。
人の上にたてば、おいしいこともあるかもしれない。
大事なのはスパイラルに乗ること、それがスタート地点。
スタート地点についていない段階で、悶々としているのではないか。
変化を起こす腕力がない中で、あれこれ考えたとしても、
どの考えを選択したところで、変化を起こせないから一緒。
これが、いろいろ苦心した挙句、フラフラと同じところを回っている感覚の正体ではないかと思料。
で、「いいものは持っているのだが・・・」という認識で終わる。


(P)