習慣の力

かつては、過去をたどることで慰めを得ているような気でいたが、
それが錯覚だったことに気づいた。
過去は、現在を味わうための触媒のようなもので、
現在のない人間にとっては、思い出はまったく無価値なのだ。

僕のなかの壊れていない部分 (光文社文庫)

僕のなかの壊れていない部分 (光文社文庫)

もし、誰かと一緒に生きているとして、その関係に保障はあるだろうか。
なくてももちろんいいのだが、
ひとたび周囲の人々の気が変わったら?
誰もいなくなったら?


仕事を定年したら、周りに誰もいなくなる。
妻にも見限られる。子供は労働や性交で忙しい。
明日もし、みんなの気が変わって、
誰も俺に見向きもしなくなったとしても、
俺に文句を言う権利はない。
他人の意思は原則自由だから。


誰に食べさせるわけでもない夕飯を作るのが空しいように、
誰にも言うわけでもない感情や思い出だけが駆け巡る。
誰にも渡せないおもちゃのお金を貯めている。
すべてが無意味になってしまう。


それだけは避けようということで、
「居場所」「周囲の人間」を求めると、
毎日会社に行くという契約が。
明日の仕事のために、
今日は帰ってきてから家で経営の本を読んだ。
つまらなかった。

医療サービス市場の勝者―米国の医療サービス変革に学ぶ (21世紀ヒューマン・ルネサンス叢書)

医療サービス市場の勝者―米国の医療サービス変革に学ぶ (21世紀ヒューマン・ルネサンス叢書)


ほんとだったらマンガ読むよ。
シガテラ最新刊出たから、働きマンも)
ほんとうだったら。

シガテラ(6)<完> (ヤンマガKCスペシャル)

シガテラ(6)<完> (ヤンマガKCスペシャル)


と、こういう状態は、本来的なものでないのではと考えてしまう。
翼がほしくなる。


勤務時間外に経営の本を読むぐらいしないと、
「すべてが無意味」に帰してしまうのか?
かといって、タダタダマンガ読んでるだけで日々過ごしたら、
いずれどうせ自己嫌悪になったりするんだ。


だから、かなりグレーなんだと思うよ。
難しいところだ、この辺、生活と人情と。
ハッキリしないが。


これは、人生では好きなことだけやれるわけじゃない
我慢も大事だっていう説教ではなく、
そういう内面とは無関係に、
どうしてもグレーにならないと生存できないという話だと思う。


そういうわけで、

  • 毎日の労働
  • 毎週末のダンス教室
  • 毎月中旬のサーフィン
  • 隔月末のショッピング
  • 四半期ごとのバーベキュー
  • 毎年一度の海外旅行

を習慣化するのだ。


◎習慣化のメリットの例
バーベキューで俺はカレー担当である。
次回があると明確に決まっていることで、カレーの研究に余念がない。
こんなの、習慣化して、発揮する機会を確保しない限り絶対自主的には研究しない。


無駄ではないという保障がないと、何もできないのか?
無駄になる可能性がないから、やっているのか?


そういう難しいことを言うな。
グレーなんだよ、それは。
生存のグレー。


このまま仕事を続けて、それなりに何かを成し遂げても、
定年退職のその次の日から、
もう誰からも電話掛かってこなくなると知っているのに。


そういうわけで、
仕事とかプライベートとかの区分もありますが、
全体的に、物事を習慣化することは、
今を生き延びるための知恵じゃないかと。


で、そうやって何事も規律の中に領域化して楽しいのか?
というそもそもの疑問も湧き上がるのだが。


俺の答えは、
少なくとも、踊っている間、仕事に注力している間には、
そういうくだらないことを考えない、というだけ。


習慣の力=考えない力?
おれは疲れているのだろうか。


KSTも触れている、

このつまらない仕事を辞めたら、僕の人生は変わるのだろうか?

このつまらない仕事を辞めたら、僕の人生は変わるのだろうか?

を再読してみることにする。


(パイン)